これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ㉖

1917年
10月6日
9時40分
看護師が来訪、いつも通りおむつ交換をした後、
ガーゼを床ずれの背中に当て、テープで留めた。。


歩けなくなったため
必要でなくなった手すりのレンタルをキャンセルするため、
業者に電話した。。


昨日、右目から涙が出ていたが、
今日は左目から涙が頬を流れていた。
これは、物理的な現象か、それとも心理的なものなのか?


帰り際、玄関先で、看護師が、
「血圧が50まで下がっており、今日明日だと思います」
と私にそっと耳打ちした。


11時半
麻薬性鎮痛剤であるフェイントステープを届けるため、
調剤薬局のHさんが来訪した。


12時
私は、すぐ近くの食堂で昼食を済ませた。


14時
私は洗濯物を取り込んだ。


その後、私はセミダブルベッドの上で、
妻の左側に寄り添っていた。


そうしているうちに、私は知らないうちに寝てしまった。


16時半
1時間ほどして、私は目が覚めた。


横にいる妻の気配が、何か違う。


まさかと思い、私は妻の口元に耳を当てた。
息をしていない。


来るとは思いつつも、ついに来たかという思いとともに、
無念な気持ちが湧き上がってきた。


電話を受けた主治医が、約30分後に到着した。


主治医は確認した後、
17時17分の時間を記した「死亡診断書」を
私に手渡した。



妻と共に歩んだ“24年5ヶ月の日々”が終わった
これからは、妻は“思い出の人”となる。




スカパーで、“古き良き時代の洋画”をいつも見ていた妻、


自転車に乗れなかった妻


バス旅行の移動中は、必ず私の膝に顔を埋めて寝ていた妻、


歩くとき、いつも手をつないできた妻、


しゃべり方が可愛かった妻、


高所恐怖症なのに、なぜか、観覧車に乗りたがる妻、


天然で、不思議な行動をとる妻、


自分について、よく「虫の息」と言っていた妻、


なんともいえない悲しい表情をする妻、


犬が大好きだった妻、


私のことを、犬を想定して「のらちゃん」と呼んでいた妻、


自分のことを「うめ」と呼んでいた妻、


私がやることを、何かと真似する妻、


“お互いがファンという存在”で、唯一無二の人だった妻、


いろんな点で、“運命”を感じる人だった妻、



妻に出会えて本当に良かった。


出来るなら、もう一度、逢わせてほしい・・・・。

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