これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「そうか、君はもういないのか」

31日の朝、いつものように、新聞のテレビ番組表に目を通していると、
「そうか、君はもういないのか」という番組名が目に入った。


私は、すぐその言葉に反応した。
1日に数回、頭の中に浮かぶ言葉だからだ。


気になって番組内容を、見てみた。
予想した通り、死別に関するものだった。


午後に、私は、その番組を録画予約して出かけた。
そして、録画したものを、その日の夜、見た。


作家の城山三郎氏が、亡くなった妻の想い出を綴った物語で、
奥様への強い想いがよく伝わってきた。


運命的な出会い、夫婦愛に満ちた日常、余命3ヶ月のがん発症、
闘病、そして、看取りまでが描かれていた。


私達夫婦との共通点も、いくつかあり、
妻を思い出しながら見ていた。


病院の付き添いで来ていた娘が、
お父さんは仕事が忙しく、疲れるだろうから
帰るように勧め、自分は泊まると主張した。


しかし、
奥さんは、娘に帰るように言って、
夫に対しては、今日は泊まって欲しいと譲らなかった。
結果、夫婦二人だけの空間、時間がつくり出された。
そして、奥さんは、その日の夜に亡くなった。


人は、
自分に迫った死というものに気付くのであろうか。


最愛の夫が、至近距離にいる状態で、
奥さんは人生の最後を終えることが出来た。
奥様の望みは叶えられた。


私の妻は、私が妻の横でうたた寝している時に、息を引取った。


二人だけの空間の中で、自分が亡くなる。
その形が、妻の望む人生の最後だったのかもしれない。


妻の残像が、
私の心を、
「そうか、君はもういないのか」という落胆と哀愁の世界に
誘導する。


作者は、奥さんのことを“妖精”“天使”などと表現していた。


私は、妻に対して、
“かぐや姫”のイメージを持っている。


「月に行った」というより、
「月に戻った」という印象がある。

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