これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「妻」に覆われる世界

1日は24時間ある。
寝る前に、1日を振り返る場合、
午前中、何をして、午後、何をして、夜、何をした。
という風に、
行動について振り返るのが普通だと思うが、


1日、頭の中では、何を考えていただろうか。


私の場合、
寝ている間、即ち、意識のない時間帯を除いて、
ほとんどの時間、妻の事を考えているということがわかった。


逆に、
妻のことを考えていない時間帯はというと、


人と話している時、テニスをしている時、
パソコンで株価ボードを見ている時、
テレビで、その内容に集中している時、などで、
これらは、2つのことを同時に行えない行為である。


だから、このようなことをしている時だけは、
妻は、私の頭から消えている。


私は働いていないが、
働いている人は、「仕事をしている時」も、これに当たるだろう。


私の場合、これらは、短時間で終わる行為のため、
私は、1日のほとんどで妻のことを考えていることになる。


「妻」で覆われた頭は、私の心に、安心安定をもたらしている。


亡くなった配偶者のことを思い出すと辛くなることから、
頭の中の、亡き人の占有率を減らしたいと思っている人も多いと思うが、


私の場合は、
妻を想うことが、生きる意味をもたらしてくれる栄養分となっている。


ところで、
妻のことを考えていると言っても、
いつも、それは、無意識のうちに行なわれているので、
自分でも、具体的にはすぐに出てこない。


改めて、思い起こしてみた。


大部分が、“おぼろげな妻”という抽象的なものを見ていることがわかった。


時に、“具体的な妻”が現われている。
それは、
私が水洗いをしている時、水洗いをしている妻の姿、
テレビで、イタリアの映像が流れている時は、イタリア旅行中の妻の姿、
ドラマで、夫婦喧嘩をしているシーンを見た時、妻の怒った顔が、
町で犬を見た時、犬を撫でながら、嬉しそうにしている妻の姿、
テレビで、“アスペルガー”に関する番組を見た時、
“アスペルガー”の動きをする妻の姿、
テレビで、がん患者のドキュメンタリーを見た時、
闘病中の妻の姿、そして後悔が、


このように
目に入ったものが、「妻の姿」に繋げて行く。


そして、
私の頭の中は、一日中、「妻」で覆われることになる。


それは、
痛くもあり、温かい、不思議な世界だ。

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