これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“やさしさ”が溜まる 不完全燃焼

相手が誰であっても、
人にやさしくすると、一定の気持ち良さは残る


ただ、それは、一定のものであって、究極のものではない
やさしくする相手が、自分にとって、特別な人でないと、
究極の “気持ち良さ” を得ることは出来ない。


特別な人とは誰かと言うと、妻以外、思い付かない。


妻と喧嘩した時、私は冷静さを失い、
妻に酷い言葉を浴びせたこともあった。
そういう瞬間であっても、
妻が好きだという気持ちは変らなかった。


妻は普段は気が弱い人だったが、
戦場に立つと、タフな戦士に変身する。
戦いにおけるスタミナは妻の方が上なので、
最後は、私が折れることで、戦いは終わる。


喧嘩の後、
妻に対して発した「酷い言葉」を振り返って、
私は反省すると共に、
妻は顔には出さないけれど、傷ついているのではないかと 心配する。


そういう妻を思うと、
可哀想で、思い切りやさしくしたくなる。


普段でも、喧嘩をした時も、
妻は、
大量の私のやさしさを、吸収してくれる受け入れ先だった。


その受け入れ先が、無くなった。


今は、所有している“やさしさ”を、
妻以外の人に、少量ずつ放出している。


しかし、
私が出したいと思っている量には、はるかに及ばない。


“やさしさ”は、私の心の中に溜まり続けている。


妻は、
私が、“やさしさ”を使い切る前に、逝ってしまった。


心の中に、
“やさしさ”という無形の貯金がどんどん増えていく。


行き先を失った“やさしさ”。


再び妻に会えるのなら、
この大量に溜まった“やさしさ”を、受け取ってもらいたい。
そうすれば、心の中は、すっきりするはずだ。


でも、
それは叶わないことなのか。


だとしたら、
私は、
その大量の “やさしさ貯金” を体に残したまま、
死んでいくのだろうか。

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