これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

説明しない妻

妻は、他の人がしない行動や、不思議な行為がたくさんある人だった。
悪く言えば変った人、よく言えば個性的な人だった。


私は、その変ったところの一部は直してほしいと思っていたが、
大部分を個性と見ることが出来、
私が妻を好きになる要素でもあった。


私が、その不思議な行為の説明を妻に求めても、
その理由を答えない人だった。
拒否するというよりも、何となく答えないとする態度だった。
こういうところも、“不思議な人”と言えるところだった。


“不思議な人”と“ミステリアスな人”という表現は、
何となく近いように思えるが、
妻は、
“ミステリアスな人”という表現は当てはまらず、
“不思議な人”だったと思う。


今聞かなくても、
これから何十年も一緒に住むのであるから、
この先、一緒に暮らしていくうちに、
一つ一つ、わかってくるだろうと安易に考えていた。


解明することを、
老後の楽しみとして残していたような気がする。


しかし、
想定外で亡くなってしまった。


私は、妻がいなくなってから、
より妻を知りたいという欲求が強くなっている。


リアルな妻が、傍にいれば、
妻を観察し易いのだが、
いないとなると、想像で考えるしかない。
一緒に生活した24年半で、
妻という人間については、概ねわかっているつもりだが、
“不思議な行為”については、
今でも、多くが、わからないままだ。


今、思い出すところで、
不思議な行為をいくつか挙げると、


妻は、コロナ前の、2014年頃から外出する時、
マスクをするようになった。


周りで、マスクをしている人は、
風をひいているか、花粉症の人ぐらいだ。


私は、
マスクをする理由を、その時は、聞く程でもないと思い、
聞かなかった。


私が、クイズを答えさせるような質問を妻にした時、
すごい剣幕で怒ったことがある。


私は、その時、驚いたが、
なぜ怒るのかを聞かなかった。


今、想像で考えると、
知識力を試すような私の行為が許せなかったのではないかと思う。


妻は、
「知識」と「知性」は別物と考えるような人だったので、
今、民放で、軒並みクイズ番組が増えているが、
妻が生きていたら、
出演オファーにホイホイと乗っかるタレントに対し、
多分「知性がない人」と表現しているだろう。


もう一つ、
“不思議な行為”とは違ってくるが、
未だにわかっていないことがある。


妻が義父の葬式に呼ばれなかった理由だ。


妻は、がんで入院していた義父の見舞いに、
週2回ほど行くようになっていた。


自分に対して厳しかった義父を、嫌ってはいたが、
脱サラして事業を成功させた義父に対して、
尊敬の念は抱いてたように見えた。


それが、ある日、
見舞いから帰って来るなり、
「父親を叩いてきた」と、すごい剣幕で怒っていた。


その後、義父は亡くなり、家族葬であった葬式に、妻は呼ばれていない。


見舞いに行った時、義父と妻の間に何があったのか


わからないままである。


その時から、妻は健康診断を受けなくなって、
5年後に、妻はがんの告知を受け、4ヶ月半で亡くなった。


妻の心の痛みに気付かず
ケアを怠ったことを悔やむとともに、
鈍感でまぬけな自分が、ほどほどイヤになる。

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