これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

どんどん自由になっていく

私は、生まれてから現在まで、
時間と共に、自由な身になっているように思える。


ざっと説明すると、
・高校を卒業して、親元を離れることで、
   教師であり視野が狭めの父親の干渉、影響から解放される。


情報が少なめの県にある大学を卒業、就職でこの県を出る。


・60を過ぎて、会社を辞めることで、人や組織のしがらみから解放される。


・妻が亡くなって、自分のことだけを考えればいい身分となった。


誤解のないように、付け加えると、
私を育ててくれた父親には感謝しており、
大学では、いい環境、いい人がいる中で生活出来たし、
会社でも、様々な人とお付き合い出来て、視野を広げることが出来たし、
当然妻からは、人生で最も濃い時間を経験させてもらった。


妻なき現在は、
頭に浮かんだことを、
制限を受けることなく、すぐに実行できる環境下にいる。


確かに、時間や行動は自由になり、体は楽になっているが、
肝心の心が、満たされなくなっている。


私の場合は、体の自由よりも、
心が満たされているかどうかが大事なので、
妻がいないことから来る空虚感は、とてつもなく大きい。


この空虚感を全部埋めることは出来ないが、
減らすには、何をすればいいだろうか。


外からの刺激による満足は、その瞬間だけのものだ。


やはり、
体の中から発生して満足出来るものでなくてはならない。


そのためには、
妻に繋がっているものでなくてはならない。


その妻は、いない。


いない妻との繋がり。


いないけれど、いると思えばいい


妻は、
私のいる俗世界より、もっと上質な世界にいる。


そう考えれば、
妻は幸せに過ごしているだろうし、


私も、安心して、ここで暮らしていける。

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