これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

帰省、姉弟妹と会って分かったこと

6月6日の夜から7日の夜まで帰省し、姉弟妹と会って来た。


帰省の目的は、両親が亡くなり空き家となっている家の片付け。


その家は、相続で、地元にいる弟の所有となっている。


売却も考えているため、
7日の11時頃から15時半頃まで、
それぞれが持ち帰る アルバム や 思い出の品 などの選別作業をした。
小さい頃の写真や卒業証書、そして妻との結婚式の写真も見つかった。


4人で話しをしている中で、私は妻の話を時々した。
その時、私は、前回会った時と比べて、姉弟妹の反応の変化に気付いた。


前回は、姉や妹は涙を見せたりもし、
私が話したことについて言葉を返してくれたりもしたので、
引き続き妻の話が続けられたのだが
今回は違う話題で返してくる。
何度かそういう会話になっていることに気が付き、
妻の話をすることは控えた。


よく考えてみると、そうであるのは自然なこととも言える。


いくら姉弟妹といえども、
自分の家族以外の伴侶の事についての関心度には、
限界があることが分かった。


振り返ってみると、
ネガティブな世界に引き込もうとしている私に
姉弟妹が気遣いながらも抵抗している構図だったように思える。


6人いる甥姪(全員社会人)へのお年玉という名目で
姉弟妹にお金を渡した。


この行為は、お金を使う目的がなくなっている私の
精神の調整作業の1つである。


私は“精神の充足”を得られるし、受け取る側は“物としての充足”を得られる。
受け取った側は、そのお金という“物”を“精神”の充足に使ってもらえればいい。


しかし、この様な精神的な事を、姉弟妹には理解出来なかったみたいだ。


「お兄さんは子供もいないし、将来介護費用がかかるだろうし、
こんなことはしないで、貯金を減らさないようにすべき」
と、みんなから言われた。


“共感をしてくれる相手は限られる“
ことを改めて感じながら、帰りの飛行機に乗った。

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