スーパーで買い物をしていて、
40歳前後の夫婦が買い物をしていて、
主人が商品を手に取って「これどうしよう」と奥さんに
聞いて、
奥さんが「いや、まだいいよ」と答えた後、
奥さんが、隣の商品を指さして、「これ、安いんじゃない」と、
主人の方を見て、反応を確かめた。
主人が「ほんとだ」と言ったのを確認して、
奥さんはその商品をかごに入れた。
隣にいた私は、
いい関係性を持った夫婦のように感じられた。
お互いを深く信じ合っている様子がうかがい知れて、
そういう光景を目にすると、こちらも心地よくなる。
羨ましいという感情が出ることはなく、
仲の悪そうな夫婦を見るよりは、
こういう夫婦を見る方が、自分の精神衛生上にも良く、
気持ちよく買い物が出来る。
ただ、そういう夫婦をただ眺めるのではなく、
その当事者でありたいという気持ちが自然と沸いてくる。
あの時の温かい感触をもう一度体感したくなる。
切ない切望が溢れてくる。
でも、それは叶わないこと。
それは、わかっていて、
冷静に受け止めることは出来るようになっている。
スーパーで見た二人は、
「二人の物語」を作ってる最中なんだな と思った。
このような“ふれあい”の蓄積を重ねて、
物語が出来上がっていくんだなあ と思った。
この物語は、いずれどちらかが亡くなった時、
生きてる方が何度も頭に浮かべて、
時に泣き、時に笑い、時に郷愁に浸る影像となるんだなあと思った。
私の場合は、物語は終っている。
“完成していない物語”で終わってしまった。
その“未完成作品”を繰り返し巻き戻して見ている。
完成していなくても、
私を泣かすことが出来るし、笑わすことが出来るし、
郷愁を誘うこともできる。
未完成であっても、立派な作品だと思う。