時間の、「長さ」と「質」
7月予定のオリンピック開催が微妙になっている。
体(健康)と経済(お金)のどちらを優先するかで決定が左右する。
私は、オリンピックを見たいとは思うが、
中止になっても、それはそれでしょうがないという位の感覚だ。
競技を見たいと思ってはいるが、
競技場に自転車で行けるところに住んでいるため、
どちらかというと、
いろいろな国の人を直に見れることの方に興味がある。
コロナが出るまでは、
開催の有無について検討されることになるとは、
思いもよらなかった。
この状況下では、
どちらかを優先すると、もう一方に目をつぶるしかない。
世の中、両方揃って“いい”ということは、思ったより少ない。
そのため、二者択一の選択に迫られることが増えてくる。
「世界の難民問題」も、
生き延びたい人々と、治安、雇用喪失を危ぶむ人々
との利害関係、
「中高年の雇用延長」は、
雇用を得るものと、雇用機会の喪失が懸念される若者
との利害関係、
東北の、「防波堤建設」は、
命を優先してお金をかけるか、それとも、景観を守るか、
決定には、相反する2つの調整が必要だ。
両方選ぶことは出来ない。
私達夫婦にも、
結婚生活24年目で、二者択一の場面に出くわす不運が、
訪れてしまった。
妻は、
抗がん剤を投与する延命治療ではなく、
痛み止め薬だけの生活を選んだ。
抗がん剤の副作用という痛みに神経を奪われながら
余命を延ばすよりも、
二人の残された時間のみに、神経を集中させたかったのだろう。
時間の「長さ」より、「質」のほうを選んだのだ。
今考えると、
妻の選択は正しかったと、私は考える。
がんの告知から4ヶ月半という短い間だったが、
私は、この期間、「時間」を今までの何十倍も大事に使おうとした。
私の人生で、最も時間を大切に使った4ヶ月半だった。
それでも、
やり切ってないという、後悔は未だに残っている。
人間、
物事に集中していると、あっという間に時間が経ち、
「時間」を短く感じる。
だらだらと過ごしていると、時間がとても長く感じる。
私の人生の中で、
「この4ヶ月半」は、
最も時間を短く感じた期間だった。
その次に短く感じた期間は、
妻との24年半の結婚生活期間だ。
今、
妻が居なくなり、
私の、「時間」に対する感覚は大きく変わった。
妻と結婚する前の38年間と同じように、
時間を長く感じる生活に戻ってしまった。
私の、時間を大切に扱う感覚は、
何百分の一に薄められたものとなってしまった。
集中するものを失なったことで・・・。