これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

無愛想な私

妻を亡くしてからは、
魂が抜き取られたような感覚があり、
それが、表情や動きに出ている。


スーパーでの買い物や、外食をした後の、レジでの支払い時、
表情がなく、無気力な感じで、お金またはカードを差し出す。


レジ係の人は、
「何と表情のない、鋭気を感じさせない中年男性だろう」と、
心の中では思っているだろう。


相手がお客であるため、
「ありがとうございました」と、
丁寧な応対はするものの、
心の中にある「何、この無愛想な中年男性は」
というようなレジ係の表情を
実際に感じることは多い。


「何か人生に不満でもあるのか」と
そう思われているに違いない。


気を使わなくてもいい相手には、
このように元気のない姿をそのまま見せてしまう。


多少関わりがある人と接する時は、
自然とスイッチが入り、
表情豊かで、はっきりした口調で話す。


そのように接した相手からは、
私の印象はそんなに悪くないと思う。


しかし、その相手の姿が、目の前からなくなると、
再び、肩を落とした感じの
無表情な自分に戻る。


死別経験者で、
正規雇用で働いている人の場合は、
周りが関わりのある人ばかりなので、
無愛想、無表情ではいられないだろう。
少なくなっているエネルギーを、出し続けなければならないだろう。


私は、無表情でいられる環境にあるので。
今後も、自分が悲劇のヒーローであるかのように肩を落とし、
表情のない生活を続けるだろう。


使われなかったエネルギーは全て、
「妻を想うこと」に使う。


それは、私にとって自然だし、-
有効なエネルギーの使い方だと思う。

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