これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

神様の調整

春は出会いの季節。
入学式、クラス替え、入社式、新年度での移動、など、
新しい出会いが増える環境がある。


男女の出会いについては、
恋愛以外では、
昔は見合い、最近はマッチングアプリでの出会いが増えているみたいだ。


「出会い」があると必ず「別れ」がある。


恋愛中の別れは多いと思うが、
結婚後も、離婚という形での別れもある。


離婚にならなくても別れはある。


それは、死別だ。


私の場合、
出会えた喜びを、24年半持つことが出来たが、
別れ(死別)の悲しみは、
この後、私が生きている年数だけ持つことになる。


まだ6年半の悲しみを持っているだけだ。


あと18年だけ悲しめば、喜びの年数に並ぶことになる。


神様は、
私をあと18年生きさせるかもしれない。


妻と私は、妻32歳、私37歳の時に出会った。0


お互いに晩婚だが、
それまで、お互い何人かの相手と付き合っている。


妻の場合、
お互いが好きだった相手との交際であったのに、
妻の「子供は要らない」という言葉から、
別れることになった経験をしている。


また、一度だけデートした同級生とは、
その男性が「政治家を目指す」という一言があり、
それを聞いて、妻は、相手に付き合いの終了を告げている。


出会いがあれば、別れがある。
出会いがなければ、別れもない。


スパンを拡げると、
「生」があるから、「死」がある。
「生」がなければ、「死」もない ことになる


妻は、「生」を持ったから、「死」を持つことになった。
私も、「生」を持ったから、
いずれ、間違いなく「死」を持つことになる。


妻と私が33歳と38歳という遅い結婚になったのは、
神様が、
二人が出会うまで、別の人と結婚させないよう“調整”していたのかもしれない。


神様の調整があるとしたら、
妻の人生を調整して短くした神様の意図は、
何なんだろう と考えたくなる。 


妻との出会いに時間がかかったことを考えると、
妻との再会の調整にも、時間を要することが考えられる、


神様がその作業をしていることを信じて、
時間がかかっても、その日を待つことにする。

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