これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「57歳」という理由

nora

「人生100年時代」という定型文を、
最近、呪文のように、人々が口に出している。


健康と、経済的なものをクリアすれば、
それなりに長く生きられるということだ。


人々は、
「あと何年生きられるか」というような考え方をする。
「足し算」の考え方だ。


私は、最近、
「寿命はその人ごとに、決まっているのではないか」 
と、時々考えたりする。


そうだとすると、
妻は57歳という寿命を全うしたことになる。


この“57”という数字が決められた理由は、何なのだろう。


私の寿命は、知らされてはいないが、
決まっているとしたら、
今も刻々と0に向かって進んでいることになる。


余命年数は、刻々と減っている。
「引き算」の考えになる。


妻が生きていた時までは、
私は、人生を「足し算」で考えていた。


寿命というのは、決まっていると考えず、
本人次第で、長くも短くもなると考えていた。


どうしたら、健康でいられて、長生き出来るだろうかということを、
常に考えていた。


60歳未満で亡くなる人もいるし、90を過ぎても生きている人がいる。


それぞれ、与えられた寿命を生きているのだ。


妻は死んで、私は生きている。


何がそうさせたのか。


1つに、「看取り方」が考えられる。


私が妻を看取らなければいけないと、常々、私は考えていた。
妻も、それを望んでいた。


逆はあってはいけないと考えていた。


そういう形にはなったが、
なぜ、その年齢が57歳だったのか。


80歳、90歳でもいいではないか。


考えられることは、
「看取り方の質」だったのだろうか。


妻の闘病を支えるための私の体力が、これ以上先になると落ちてしまい、
十分な形で、妻の世話が出来なくなる恐れがあったためか。


“57歳”というのは、そういうことで決められたのだろか。


闘病中、妻が一度、
「こうなった(癌になった)のも、のらちゃんが、体が動くうちで
よかったのかもしれない」
ということを口にしている。


妻の、本人が気付かない意識の中に、
このタイミングが一番いい という考えがあり、
それが、“57歳”だったのかとも考えたりする。


確かに、
4ヶ月半、体力と神経を、
妻に向けて100%集中出来たのは間違いない。

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