これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「どう生きていくか」→ 「どのように死んでいくか」

最近よく「人生100年時代」という言葉をよく聞く。
「2007年に日本で生まれた子供については、107歳まで生きる確率が50%ある」
という記事も目にしたことがある。


以前は長生きすることには関心があった。
今はどうでもいいことになった。


以前は今を起点にして、どう生きていくかを考えていたが


今は、どういう死に方をすればいいか。
そのためには今後何をしていけばいいのだろうか
と考えるようになった。
死ぬ時を起点にして溯る考えに変わった。


最近、少しずつ終活を始めている。


まず複数持っている銀行口座を1つにしたいと考えたが、
残念ながら、今の時点では4つまでにしか減らすことが出来なかった。
「マンションの管理費引き落とし」、「アルバイトの給料の振り込み」
に関しては、銀行が指定されている。


「公共料金引き落とし」、そして「生保などの引き落とし」に使っている銀行は、
変更する手続きが面倒くさいので、もう少しこのままにしておくことにした。


登録していたメール配信は数件残して、ほとんど停止手続きをした。


部屋の整理、自分の書類や物はこれから少しずつ減らしていけばいいが、
妻の物の方が私の物より多くある。


特に服類で、古着がものすごくたくさんある。
それを入れた収納ケースが狭い部屋に山積みになっている。


妻は、電車で30分位かかるところにある古着専門店に月に1回位のペースで行き
古着を買ってきていた。


買ってきた洋服を見せ、「これいくら位だと思う」とよく聞いてきた。
私が「2000円くらいかな」と答えると、
300円とか500円とか答えることが多かった。


妻は値段の高い物を買って誇らしげにするのではなく、
安い物を買って誇らしげにしていた。


その古着を実際に着るのはほんの一部で、
着るためよりも、ストレス解消のために買っていたように思える。


これらの処分も行う予定だが、妻の思い出の品なので、すべて捨てることは出来ない。


旅行などで撮影したビデオや写真の中で妻が着ていた服を残すことにして、
それ以外は処分しようと思っている。
その照らし合わせの作業を随時行っていくつもりだ。


その作業中は、妻との思い出が蘇ることになり、何度も涙が出ることになりそうだ。
“心地良さ”と“辛さ”が共存する微妙な時間帯になるだろう。


これから残りの人生は、妻につながることだけに費やそうと思う。


今までも妻に関することが自分の生活の中で一番大切だったが、
他のことへの関心も少しはあった。


しかし、これからは妻に関することのみに時間を使いたい。
妻に繋がらない行為は、無駄な時間と言えるからだ。


見える人に何かをやってあげれば、
ほぼ100%相手に伝わる。


しかし、妻は肉眼では見えない。


見えない人に何かをやってあげても
99.9%位はやったことが蒸発して無くなり、残り0.1%だけが相手に伝わる感覚だ。


しかし、0.1%であっても積み重ねていけば、
少しずつある程度の形になっていくように思われる。


そう考えれば、残された人生での行為が、妻に捧げる行為となり、
意味が出てくる。


見えない人へ、どのようにその行為を繋げていくかは、これから考えればいい。


目的ではなくなっていた “長生き” に対しても、
“積み重ねる時間”と考えると、
目的にしてもいいかもしれないという考えに変わってくる。


“妻に繋がるベストな死に方“ を常に考えながら生活していきたい。

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