これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

癌 告知から亡くなるまで 妻と過ごした137日 ⑪

6月27日、妻に関する年金について、確認のため、社会保険事務所へ行った。


質問に対する答えは、こちらが持っていた知識の通りだった。


妻は通算して25年以上厚生年金を払っており、
61歳からの一部厚生年金受給の権利は持っている。
しかし、57歳なので、受給開始まであと4年ある。
そこまで生きなければ、払っただけで終わる事になる。


私は、それ以上妻が生きる奇跡を起こしたいと思った。


妻と話をしている時、妻は、ちらっと「自業自得だ」と言った。
5年前から健康診断に行こうとしなったことで、癌を見つけられなかった事に対してだ。


そう言った瞬間、妻は私の顔を見て、
しまった、言わなければよかったというような顔をした。


その夜、急に妻が私に突っかかって来た。
私が2年前から倹約を強いてきたことに対してだ。


妻は「墓場まで持って行くつもりだったけど、やっぱり言う。
お金のことをいつも言われて、生きる気力が無くなり区の無料健診も行かなくなった。
私が死ぬのは、あなたのせいだ。殺人行為だ。」
とまで言った。


倹約を強いた理由は、
65歳以降の二人のより豊かな生活のため、
65歳までに貯金を出来るだけ残すという目的があったからだ。
期限付き倹約と考えていた。


そのような、私の考えを妻に話しとけばよかったのだが、
まさかこの年齢で余命宣告があるとは考えていなかったため、
あえて、説明はしていなかった。


“一歩下がって二歩進む“ ための行為だったのだが、
一歩下がっただけで、前に進む事なく終わることになってしまった。。


6月28日、妻は「朝の準備は出来ない」と言ってきた。
いつも朝コーヒーとトーストを出してくれていたが、
この身体の状態なのだから当然だと思った。


午後、私は妻には内緒で免疫療法のセミナーに行った。2回目だ。


妻は痛み止めだけで最後を迎えることと決めている。
一度決めたことを変えられることを妻は極端に嫌う。
それで内緒で行った。
無駄な事をしているようだが、
癌について、少しでも参考になる話が聞けるかも知れないと思い参加した。


6月29日、午後、いつもの主治医ではない女性の先生の往診があった。


妻は先生に「小林真央が末期の時、息苦しくなっていたみたいだけど、
そうなったら、睡眠薬で眠ることは出来ますか?」
と質問した
先生は「大丈夫です。出来ます。」と答えた。


往診後、介護保険申請のため、包括センターまで、二人で歩いた。


行きで、私は道を間違い、遠回りになってしまった。
7分位の予定が、10分位歩いてしまった。


帰り道で妻がすごく疲れた顔をしているので、「おんぶしようか」と言うと
妻は首を振り、「手をつないで」というので、手をつないで帰った。


夜、二人で話しをした。


妻はこんなことを言った。
「70歳位までは元気に動けるとしても、母親のように歩きにくくなり、
活動が制限されるなら早く逝った方がいいかも。」 


「骨を箱に入れてくれないかも知れないから、宝石箱(普通の木箱である)に爪を入れ、
巣箱(衣装ボックスのこと)に入れておくから」と言うので、


私は「間違いなく骨壺は、この部屋に置くよ」と答えた。
妻は安心した表情を浮かべた。


そして、私は、“手術をしないという妻の選択”は、
お金のことを心配してのことだったのかもしれないと思い、


妻の本音を知るため、こんな質問をしてみた。


「もし1億円あったとしたら、手術をしたか?」と。


すると妻は
「50、60%の可能性があるなら選択したけど、助からないのだから選択しない。」
と答えた。


妻はいつも私にくっついて寝始めるのだが、今日は疲れたのか、くっつかないで眠りに入った。

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