これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「ある愛の詩」のラストシーン

ベッドで仰向けになり、ボーッとした状態で、
妻を想っていると、


昔、高校1年位の時に見た「ある愛の詩」という映画の
ラストシーンが頭に浮かんできた。


この映画は、身分が違う二人の男女の、真っ直ぐな愛を描いた作品で、
“愛とは決して後悔しないこと” という名セリフがある。


私は、この映画を見たいと思っていたわけではなく、
誘われたから行ったという程度だったので、
見終わった後も、特に感想らしきものはなかった。


しかし、
高校生の時と違って、妻を亡くした身となった今、
この映画のラストシーンを思い出すと、
ジーンと来るものがある。


誰もいない雪に染まるスケートリンクを目の前にして座り、
白血病で亡くなった彼女の姿を回想するように、
前を見つめる主人公がいる。


バックにフランシス・レイの音楽が流れ、
エンドロールが流れ、主人公の後ろ姿がだんだんと小さくなって行き、
映画は終わる。


そのラストシーンでの主人公の姿が、
自分と重なり、切ない気持ちになった。


何もしていなく、ボーッとしている時は、
自然とこのように、妻を回想することが多い。


誰にも邪魔されない “妻と私の静かな時間” は、
切なさと癒やしが同時に起る、稀有な時間だ。


外にいると、
視界にいろいろな情報が入って来て、
1つのことを考える環境は作りにくい。


音のない部屋の中で、一人ボーッとしている時間は、
“妻と私だけの世界” に入ることが出来、
安定した心でいられる。


想像力が入り込む余地を生む時間なのかもしれない。


妻と私の物語 を回想する。
一日の中で、自分にとって、一番いい時間のように思える。


妻を想っている時間は、
“哀愁の美しさ” を感じる時間でもある。

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