これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“普通の人”ではなくなった

私が持っている “人との交流円”  の直径が、
小さくなっていると感じている。


“普通の人”は、
もっと直径が大きい円を持っているようだ。


かつての私は、
普通の人並みの大きさの円を持っていた気がする。


大きい円を持っていると、
他の人の円と交わる部分が出来やすくなり、
人との交流で、しんどさ を感じることはない。


円が小さいということは、
言い換えれば、話したい内容が少なくなっている状態だということだ。


お互いの円の交わりが多いほど、
話をしていても、お互いの満足度は大きくなる。


円が小さくなっている私は、
他の人の円との交わりが少ないので、
相手に話を合わす部分が多くなる。


“普通の人”が望む話題は、
世の中のトレンドに関すること、共通の知り合いの話、
家族の話、SNSやYouTubeの話、最近やったこと など。


これらが、その人の円の中にたくさん入っている。


私はというと、
一番話したいのは、“妻の話”であり、
上に挙げた話題はあまり関心がないものとなっている。


なので、私の円は小さくなっており、
他の人の円と交わる部分は自然と小さくなっている。


しかし、
“普通の人”は、私の円が小さくなっていることを知らない。


私に、普通の話をしてくる。
私は興味のない話に合わせるしんどい時間となる。


かといって、私が妻の話をすると、
今度は、相手がしんどい時間を持つことになる。


だから、私は、
人と会っても、妻の話は出来るだけしないようにしている。


でも、
私は、このような状態が嫌ではない。


関心のある妻のことを想っているだけで、
十分満足している自分がいる。


“普通の人”でなくなった私だが、
これは、妻に会えるまでの過程だと思うと、
何ら気にすることではないと思っている。

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