これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

心の中の でこぼこ

一昨日、歯を抜いた。


7年ほど前のブリッジ療法における土台となっている歯が割れたためで、
これで、2本歯を失ったことになる。
あと、20年以上前に、親知らず を1本抜いている。


その時の痛さの記憶があったため、
抜くことに抵抗があったが、
抜いてみると、1時間ほど微妙な痛さはあったものの、
その後、痛みはなく、それまでの左側だけで噛んでいたのに比べ、
ずっと楽になった。


私の体の懸念部分は、
「糖尿病」、「腰痛」、「歯のぐらぐら」の3つであったが、


腰痛は、独自のストレッチが効いてきて、
昨年からだいぶ改善している。


歯のぐらぐら からくる痛さも、
今回の抜歯で懸念部分から外れるだろうから、
残る懸念は、糖尿病だけになる。


今後、新しい懸念部分が出てくる可能性はあるが、
今のところ、体に関しては、まあまあいい感じになった。


それに対し、
“心”の部分は、引き続き低空飛行となっている。


今後、高度を上げることは無理だとわかってきているので、
墜落しないことだけに気を配ればいいと考えている。


お金も、地位も、不動産も、健康も、
あの世には持って行けないが、
“心”(魂)だけは、
唯一持って行けるものだと思っている。


妻が亡くなるまでは
お金、地位、不動産、健康 を
必死で追いかけていた姿があったように思うが、
妻の死後、必要最低限以上は求めなくなっている。


その様な心の状態でいると、
心の中の でこぼこ がなくなり、
物事がスムーズに進むことが増えている感覚がある。


人間、「足るを知る」という心の状態が大事なのかもしれない。


「妻の死」が、
私の心の中にあった でこぼこ を取り除いてくれたとも言える。

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