これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“幸せ”を取り戻す

昼食を終えて、自転車で自宅へ向かっている時、
前方に見える桜の木から、花びらが舞って落ちるのが目に入った。


桜が満開の景色もいいが、
花びらか散っている景色も、風情があって悪くない。


でも、その光景は、命を感じさせ、
すると、妻の姿が脳裏に映し出される。


そして、胸が痛くなる。


去年も、
桜の花びらがひらひらと落ちていくのを見て、
同じような心情になったことが思い出される。


でも、桜は、一度花びらをすべて落しても、
来年には、再び満開の様相を呈して、そして散っていく。
これを繰り返す。


そういう意味で、桜は、死んだようで死んでいないのだ。
今年の花びらは確かに土に還って消えて行くが、
来年は新しい花びらをつけた姿を見せてくれる。


人間で言うと、
肉体は滅んでも、魂は生きてる みたいなことになる。


妻も、桜のようであってほしい。


肉体はなくなったが、魂は生きていてほしい。


そうであったら、
私が今抱えている、悲しみ、後悔、喪失感は、
きれいに消え去るのだが。


私にとって、
いないものを想うより、
いるもの”との繋がりを感じてる方が、
幸せであることに間違いはない。


私が幸せな自分に戻る時とは、
妻を、
“いるもの”として確信する時であろう。

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