これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

10月19日、妻の59歳の誕生日

誕生日にはいつもショートケーキを5、6個買って妻に渡していた。
「僕はいらないから全部食べてね」と言って渡すのだが、
少しして、妻は私の部屋に入ってきて
何も言わずにケーキを1個置いて自分の部屋に戻って行くのが、
いつものパターンだった。


今年も買ってきたショートケーキを妻の遺骨の前に置いた。


妻は年齢より若く見える人だった。


二人で買い物に行った時、店員から父と娘に間違えられた事もある。


妻が40歳位の時、派遣先でのこと。
休憩時間中20代の女子社員が「○○さんの肌って本当にきれいですね」
と言ったあと、虫めがねを持ってきて妻の顔をのぞき込み、
「すごい。高校生の肌だ」といって驚いていたと妻から聞いたことがある。


妻の顔を近くで見た時、産毛が生えているのに気が付き、
子供みたいだなと思ったのを覚えている。


妻は化粧をしない人だった。
二人の結婚式以外で化粧をしたことはなかったと思う。


声も若かった。若いというか子供みたいな声だった。


休日私が出かけている時に、会社の人からの電話に妻が出て、
主人は今出かけていると答えた。


次の日会社で電話をした先輩から、「昨日電話した時、娘さんが出たよ」
と言うので、「あれは妻です」と答えると「ええっ」と言って驚いていた。


妻がおばあさんになった時の姿を見れなくなったのが、残念だ。

喪失感・後悔・心配

妻が亡くなって、喪失感・後悔・心配の雨が降り注ぐ中で
私は毎日を生きている。


妻が亡くなる前にも、嫌なことが続いたり、どん底感を味わう事が続いたり、
仕事がうまくいかなかったりすることは、何度もあった。


しかし、今感じている喪失感は、それらとは全く別物だということが、
自分が現在の環境に放り出されて初めて思い知った。


何とも言えないやるせない、体が分裂しそうな感覚が
1日中休むことなく続く。


以前の困ったことに対しては、
・その困ったことを分析して対応することで
    概ねそれを減らしたり無くしたりすることが出来た。


・発想の転換を図れば、その事は大したことではないことに
    気づくことが出来た。


・人が助けてくれることもあった。


・時間の経過がそれを和らげてくれることもあった。


でも、この4つの手法は今の喪失感には使えない。
打つ手が無く、喪失感になすがままにされるしかない。


だけど喪失感というのは自分が受ける感覚である。
自分が苦しむことは、それほど重要な事ではない。


それよりも
妻に対してもう少しやってあげることがあったのではという後悔、


次の世界があるとしたら、そこで苦労していないだろうかという心配
の方が遙かに気になることである。


妻は、2つのことを同時にしなければならない場面で
少しパニック気味になる、
こだわりが強い、細く体力がない。
そばに居て助けてあげたいがそれが出来ない。

見つからなかったリモコンが見つかった

10月11日のブログで テレビのリモコンが見つからなくなり、妻の仕業ではないかと書いた。
14日、洗濯しようと思い、かごから洗濯物を取り出していたら、中からリモコンが見つかった。なぜこんな所で見つかったのか不思議だ。


結婚当初、二人はセミダブルベッドでいっしょに寝ていた。


妻は夜11時前に寝ることが多く、私の方は、録画した昼間のテレビ番組を見たりして寝るのは1時頃だった。
ベッドも狭いし寝る時間も違うので、一人で寝る方が楽なので、いつの間にか別々になっていた。


妻は別々で寝るのが不満で、私の部屋に約30分ごとに様子伺いで顔を出してきていた。


そして、自分のベッドに移動するよう促してくるのだが、私はテレビ録画を見ることに集中しており、「ハイハイ」と適当に返事をしたりしていた。


すると、妻は、「この線が良くないんだ。これをハサミで切ればいいんだ。」と言ってテレビにつながるコードを見はじめる。
妻の場合、本当にやる恐れがある人なので、私は慌てて「15分後にそちらに行くから」と答えると満足して自分の部屋に戻っていった。


しかし、妻は少し天然なところがある人だったので、そういう行為がかわいいと感じられた。


また、時には、待ちきれずにすっと私の方のベッドに入ってきて、私に抱きついて何も言わず寝始めることもあった。
その寝顔と抱きつき方が、父親に抱きついている小さな女の子のようであり、愛おしいと感じていた。


がん告知から亡くなるまでの4ヶ月半は、セミダブルベッドの上で二人寄り添い、テレビを見たり話をしたりして過ごした。


そして今、妻はいなくなったが、私は毎日、セミダブルの右半分を空けた状態で寝ている。