これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の夢

11月16日、妻の夢を見た。


いつも時間が経つと内容を忘れてしまうので
起きてすぐに内容をメモした。


妻と私は森の中を,
手をつないで歩いている。


妻がいなくなる。
私は慌てる。


一旦家に帰る。


なぜか義兄が隣に住んでいる。
ちゃんと見ていないとだめじゃないかと私を叱る。


家の前にレストランがあり、中に入ると妻が座っていた。
ほっとした。
店員もお客も外人ばかり。
妻はすんなり注文を終えるが、私は英語が話せず注文に苦労する。


妻は行き先で嫌な思いをしたと私に話した。


あの世で妻は苦労しているのだろうか。


この世で妻を1人にさせるのは心配だと思っていたが、
あの世で1人にさせるのも心配だ。
身近なところで守ってあげたいのだが
それが叶わないのが、もどかしい。


私は日々起こったことをメモしている。
妻を亡くした去年の10月6日以降に見た夢を、調べてみた。


今年の
2月22日
  大学にいる妻がいて、卒業のための単位が足りないといって
  苦労している妻の姿があった。


5月5日 
  妻が生きている。
  嬉しい。
  目が覚めた。
  「そうだよな。そんなはずないよな」


6月4日 
  2人が結婚式を挙げている。
  妻の父親の姿もある。


7月8日 
  私が寝ているベッドに妻が潜り込んで来て、いっしょに寝る。
  心地良い。
  目が覚める。
  急に喪失後が襲ってきた。


妻は登場していないが、
去年の 12月20日の夢


  婚活パーティーの中に自分がいる。


  すごくモテている自分がいて、複数の女性からつき合いの申し出を受ける。
  (当たり前ですが、これはあくまでも夢の中での出来事です)


  妻以外の女性と、生活をする気持ちは持っていないため、
  全部断っている自分がいた。


  ガンの告知があった数日後、妻が、
 「私が亡くなったあと、婚活パーティーに参加して、いい人を見つければいいよ」
  と言ったことがあり、それでこういう夢を見たのかもしれない。

妻との不思議な繋がり

妻と私には多くの偶然があった。


私は32歳の時、転勤で大阪から東京に移ってきた。
そして、駅の南口からメイン道路を南へ8分ほど歩いたところの
アパートに住み始めた。


その頃、妻は、同じ駅の南口を出てメイン道路を南へ10分程歩いた所の
マンションに家族で住んでいた。


ここに住んでいる間はお互いに知らないどうしであった。


駅までの行き帰り時、このメイン通りで何度かすれ違ったり、
通勤の時、満員電車の中で隣どうしになり、
体が触れ合っていたかもしれない。


その1年半後、私は転勤のため、横浜市にある社宅に住むようになった。
そこの駅は、妻が学生時代通っていた駅であった。


私が高校を出るまで住んでいた県と、妻の父親が生まれた県とが隣接していて
それぞれのお墓は県境に位置しており、すぐ近くである。
妻とは、出身地とは関係ない出会いだったので、これも偶然だ。


妻の学生時代に一番仲が良く、いっしょに行動していた同級生の
出身校が私の出身校だった。
これも確率的には稀である。


このような不思議な繋がりは、私にとって今後の数少ない希望となる。


この繋がりが今も継続していて、
何十年後であってもいい、
いつか再びそれを感じる出来事に出会うことを待ちつつ
毎日を過ごしていきたいと思う。

私の妻 ①

私の妻は、概ね「お姫様」のようであり、時々「モンスター」になる人であった。


お姫様のような人はだいたいお姫様であり、モンスターのような人はだいたい
モンスターである。


妻は両方を持っているあまり出会うことのない珍しい人であった。
あまり人と交流することがない人だったため、周りから影響を受けず
独自の自己を持っていた。


「モンスター的な行為」は、自分が馬鹿にされた扱いをされたと感じた時
軽くあしらわれたりした時、無視されたりした時などによく現れた。


少し変わった行動をする癖があり、他の人からは理解されないことも多かった。


妻の実家の近くにあるスーパーに
電車でわざわざ1時間ほどかけて出かけて行き、
私の靴下など、この近くでも買えるようなものを買ってきたりしていた。
そこまで行ったのだから、実家に寄ればいいのにと思えたが、
一度も寄ることはなかった。
実家に行くのは私と一緒の時だけだった。


私はそのような行動をする人に出会ったことはなかったが、
それも個性だと思えて、気にならなかった。


妻はよく「孤立無援」と自分のことを表現していた。
悲壮感のある言い方ではなく、自分のその立場を少し落として
こちらを笑わせるような話し方だった。


妻はドレンドを追わず、普遍性のあるものの方に気持ちが向いていた。
その時期に流行っている映画は見ず、
若い男性タレントを見て「かっこいい」とかいった言葉は一度も聞いたことがなく、
テレビにパンダが出ていても何のコメントもしなかった。


妻が好んで見るテレビは、「皇室関係」「昔の洋画」や「犬の特集」だった。


こういう所が、外で自分を生きづらくしていた要因のひとつだったかもしれない。
でも、私にとっては、そういう妻が好きだった。


飼っていたわけではないが、妻は犬が大好きで、
特に柴犬のようなシンプルな犬が好きだった。
妻は私のことを「のらちゃん」と呼んでいた。
あまり説明をしない人だったので、なぜ「のら」なのだろうと思っていたが
ある時、「のら犬 のらちゃん」とつぶやいたことがあり、
ああ、やっぱり犬のことだったのかと あらためて確認出来た。