これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻のいる場所

妻は、今どこにいるのだろう。


時々、そんなことを考える。


空の彼方か、土に戻ったか、それとも私のすぐ傍か、
もうどこにもいないのか。


「私の心の中にいる」という言い方も時々するが、
これは、概念化された妻であり、
私が本当に求めているのは具体的な妻であり、
何処にいたとしても、つながりを感じるものでなければならない。


妻が、“無”になっているとしたら、
妻の死と共に、私は妻と“二度と会えないお別れ”をしたことになる。


そうではなく、妻がどこかにいるとしたら、
今も、妻とはつながっていることになる。


だとしたら、
妻のいる場所が、宇宙であろうが、近くであろうが、
どこであっても構わない。


でも、
私が、悲しい気持ちを持ち続けているということは、


妻はどこにもいない人になった という考えが、
妻はどこかにいる という考えを
上回っているからではないか。


残されたのは、“概念の妻”だけということになる。


でも、妻の死は、
私に悲しさをもたらしたと同時に、
やさしさを、私の体に入れ込んだ。


以前よりも、
人にやさしくしたいという気持ちが強くなっている感じがする。


妻が“やさしさ”に姿を変えて、
私の体に入り込んできたのだろうか。


人は、心の痛みを経験するとやさしくなるというが、
確かにそう思う。


今持っている“やさしさ”を、
妻へ、お返しとして贈りたいのだが。


そのためには、妻=無 であってはならない。

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