これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

人生に本気で向き合う?

世間では、「人生100年」というワンパターンのフレーズが、
あちこちで飛び交っていて、


長生きするためには、何を食べればいいか、
1日何歩、歩けば けばいいいか、睡眠時間は何時間がいいか、
いつまでも社会とつながっているのが若さの秘訣、
などと、


寿命を延ばす秘訣をテーマにしたテレビ番組が増えていて、
出演者もみんな、真剣に聞き入っている様子が見て取れる。


それを見て、
「みんな、与えられた人生を真剣に考えているんだなあ」
と、他人事のように見てしまう自分に気が付く。


妻が亡くなる前までは、
私も同じように、長生きしてより良い人生を送りたいと思っていた。
人生に真面目に向き合おうとしていた。


しかし、今、
そのことに対して、冷めた目で見ている私がいる。


長生きしなくていいと考えている人は、稀な人なんだろうが、
私は、完全に稀な人になっている。


なぜ、そうなったのか。


おそらく、夢と希望に向かう対象が消えたことが、
そうさせているのだと思う。


私の場合、人生の中核に妻がいて、
その回りを、それ以外のものが衛生として回っている構図
で成り立っていた。


それ故、
中核が無くなると、私の人生はどうでもいいものになってしまう。


伴侶に代わるものを持っている人は、
中核にそれを持ってくれば、
引き続き真面目に人生に向き合うことが出来るだろう。


妻に替わるものを、持っていない私は、
真面目に人生を考えることが馬鹿らしく思えてしまう。


いくら頑張っても、
薄っぺらい物しか得られないことがわかっているからだろう。


でも、
人生を真面目に生きようとは思わないが、
夢と希望を持って生きることは出来る。


“夢と希望”とは、


次の世界での、妻との生活に対する期待であり、
それを、希望とすることは出来る。

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