これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の「キャリーバッグ」

毎年、この寒い時期になると、妻との海外旅行を思い出す。


2015年3月31日に会社を自主退職し、時間が取れるようになったので、


2016年2月に、「イタリア」、
2017年2月に、「ナイアガラの滝・ニューヨーク」
の海外旅行に行った。。


それまでは、休みが取れないことと、
ゴールデンウィーク、お盆・年末年始の休みは旅費が高いため
週末に、国内の日帰り、もしくは一泊旅行を選択していた。


この時期に募集するある大手旅行会社の海外ツアーは、
申し込みが少ない時期であることと、
学生の卒業旅行を狙っているのか、
内容が同じであっても、
旅行会社が価格を、通常の半額以下に設定している点に目を付け、


これなら、毎年この時期に海外旅行が出来ると思い、
数年間は、この時期この会社が企画するツアーに
参加することを決めていた。


それも、2017年5月23日、妻ががんの告知を受けることで、
2回の旅行で終わってしまった。


今年もこの時期、妻と行った2回の旅行の様々な情景が頭をよぎる。


妻のその時の姿がはっきりと浮かんでくる。


最初だけ、心の中に温かいものが流れ、
その後、
喪失感から来る寒い風がこころの中を通り抜け、
胸が痛む。


テレビで新型コロナウイルスのニュースを見ていて、


妻が生きていたとしたら、
いつも通り1月初旬に申し込みを済ませたとしても、
キャンセル手続きを行なっていただろうな などと
頭の中で考えたりする。


イタリア旅行の時、妻はキャリーバックを持っていなく、
大きな “ボストンバッグ” で旅行に参加した。


ツアー参加者は30人ほどいたが、
キャリーバックなしの参加者は妻一人だった。


しかし、妻は恥ずかしいとは思っていないようで、
普通の顔をしていた。
妻らしくて、「なかなかいいな」と思っていた。


翌年の「ナイアガラの滝・ニューヨーク ツアー」の前に、
妻は買い物に出かけ、キャリーバックを買って来た。


妻が買ってきたものを見ると、
私の持っている1.5倍ぐらいの大きさのキャリーバッグだった。


ちょっと、あまりにも大きいんじゃないかと思ったが、
私はそのことは口に出さず、
逆に、妻らしいと思い、こころが温かくなった。


そのキャリーバッグは、
私が寝ている部屋のタンスの上に置いてあり、
ベッドに横になっているとき、斜め右上方向で目に入る。


グッと胸が締め付けられる。

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