これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

根拠はなくても、希望はある

妻の画像や動画を時々見る。


頭の中に映し出される“妻”と、
画像や動画に映っている“妻”との間に
ズレがないと感じた時、
ホッとするところがある。


どういうことかと言うと、
自分の妻に対する記憶が、
まだ衰えていないことを確認出来た安堵感とでもいうのだろうか。


妻は間違いなく死んだことは認めるが、
私の頭の中では、
まだ生きているという、慰められたような感覚がある。


年齢とともに、記憶力は落ちてきているが、
妻の記憶は落ちないで踏ん張っている。


画像や動画は、
記憶チェック用のサンプルとして役立っている。


カメラやビデオカメラがない時代の人は、
頭の中の記憶だけが頼りということで、
記憶のズレをチェックするものがなく、
画像や動画の持つ役割は大きい思う。


論理的思考の左脳タイプの人は、静止画、
感覚的思考の右脳タイプの人は、動画での記憶が多い
と書かれた文章を見たことがある。


私の場合、
静止画を見ている時は、妻の顔を思い出し、
動画を見ている時は、妻の持っている雰囲気を
思い出してるように思える。


しかし、
静止画も動画も過去の妻である。


私が本当に求めているのは “今の妻” なのだが、
それは叶わない私のおねだりと言える。


ならば、“未来の妻”はどうだろう。


「過去」と「今」は、今、結果がわかるのに対し、
結果がわからないのが「未来」なのだ。


根拠はなくても、希望はある。

妻の話が出来る

19日火曜日、
パソコン教室で動画に音楽を付ける作業をしている時、
スマホが鳴った。


スマホに耳を当てると、○○ですと言うので、
最初、私はてっきりマンションの管理会社の人かと思った。
(去年、マンションの理事に選任されて、仕方なく毎月理事会に出席している)


「今、忙しいですか?」と聞くので、
呼び出されるのかと思い、
「はい、忙しいです。今、パソコン教室の中にいます」と答えた。
これで、呼び出しを回避出来ると思った。


すると、
「一緒に飲みたいと思って」と言うので、
交流を深めるのも悪くないと思い、
「ああ、いいですよ。この後なら大丈夫です」と答えた。


「△△さんも会いたがっています」と言われて、
ここで、電話をしてきた○○さんというのが、管理会社の人ではなく、
9年前に退職した会社の同僚だということに気が付いた。
△△さんというのは、その会社の先輩である。


管理会社の人と名前が同じだったので、ついつい勘違いしていた。


そうなると、私の口調は、よそよそしい話し方から一変して、
親しげなものに変わった。


彼は、
「妻が亡くなったんです。一人での生活をどうしているのか聞きたくて」と言った。


「えっ」と思ったが、
細かいことは、会った時に聞けばいいと思い、
暇なのでだいたいは空いている ということだけを伝えた。
そうして、4月3日水曜日に、新宿で会うことになった。


「新宿」ということで、
まだ彼は、その会社で働いていることが予想された。
彼は、67歳ぐらいのはずだ。


私が会社を辞めた後、私を入れて4人で飲んで以来、
5年ぶりに会うことになる。


その時、私の妻が亡くなったことを伝えている。


4人の中で、配偶者を亡くしているのが私だけだったのと違い、
今回は、同じ境遇の人がいることになり、
共感しあう話題もあるだろう。


“妻の話”が出来るのを、楽しみにしている。

怖いもの

今の自分にとって怖いものは何なんだろう。


以前であれば、
怖い順に並べると、
妻の死、自分の死、両親の死、認知症、がん、地震、おばけ
嫉妬・妬み


現在はというと、怖いものはグッと減り、
以前に挙げた、妻の死、両親の死、は消え、
しいて挙げれば、
認知症くらいか。


自分の死、がん、地震、おばけ については、
さほどではなくなっている。


「自分の死」については、
妻に追いつけた”という安堵感が、そう思わせるのかもしれない。


「がん」「地震」については、
「自分の死」につながるものであり、上記の理由で説明がつく。
ただ、それらに伴う「痛さ」については、
怖いものとして残る。


「おばけ」は多少怖いが、
逆に、妻のおばけであれば、最初はドキッとしても、
すぐに、喜びに変わるはずだ。


その理由は、
「妻がいなくなっていない」ことが、証明されるためであろう。


唯一怖いものとして「認知症」が残る理由は、
今の生活基盤となっている「妻を想う生活」が、
成り立たなくなってしまうからだ。


私にとって、「認知症」は。「死」より怖いものとして、
位置づけされる。


「怖れ」は、
失いたくないものを持っている時に、
失った時の場面を想像することで出てくる感情だと考える。


最も失いたくなかった“妻”を喪ったことが、
怖いものがなくなった理由だと思う。