これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

心の中の でこぼこ

一昨日、歯を抜いた。


7年ほど前のブリッジ療法における土台となっている歯が割れたためで、
これで、2本歯を失ったことになる。
あと、20年以上前に、親知らず を1本抜いている。


その時の痛さの記憶があったため、
抜くことに抵抗があったが、
抜いてみると、1時間ほど微妙な痛さはあったものの、
その後、痛みはなく、それまでの左側だけで噛んでいたのに比べ、
ずっと楽になった。


私の体の懸念部分は、
「糖尿病」、「腰痛」、「歯のぐらぐら」の3つであったが、


腰痛は、独自のストレッチが効いてきて、
昨年からだいぶ改善している。


歯のぐらぐら からくる痛さも、
今回の抜歯で懸念部分から外れるだろうから、
残る懸念は、糖尿病だけになる。


今後、新しい懸念部分が出てくる可能性はあるが、
今のところ、体に関しては、まあまあいい感じになった。


それに対し、
“心”の部分は、引き続き低空飛行となっている。


今後、高度を上げることは無理だとわかってきているので、
墜落しないことだけに気を配ればいいと考えている。


お金も、地位も、不動産も、健康も、
あの世には持って行けないが、
“心”(魂)だけは、
唯一持って行けるものだと思っている。


妻が亡くなるまでは
お金、地位、不動産、健康 を
必死で追いかけていた姿があったように思うが、
妻の死後、必要最低限以上は求めなくなっている。


その様な心の状態でいると、
心の中の でこぼこ がなくなり、
物事がスムーズに進むことが増えている感覚がある。


人間、「足るを知る」という心の状態が大事なのかもしれない。


「妻の死」が、
私の心の中にあった でこぼこ を取り除いてくれたとも言える。

“幸せ”を取り戻す

昼食を終えて、自転車で自宅へ向かっている時、
前方に見える桜の木から、花びらが舞って落ちるのが目に入った。


桜が満開の景色もいいが、
花びらか散っている景色も、風情があって悪くない。


でも、その光景は、命を感じさせ、
すると、妻の姿が脳裏に映し出される。


そして、胸が痛くなる。


去年も、
桜の花びらがひらひらと落ちていくのを見て、
同じような心情になったことが思い出される。


でも、桜は、一度花びらをすべて落しても、
来年には、再び満開の様相を呈して、そして散っていく。
これを繰り返す。


そういう意味で、桜は、死んだようで死んでいないのだ。
今年の花びらは確かに土に還って消えて行くが、
来年は新しい花びらをつけた姿を見せてくれる。


人間で言うと、
肉体は滅んでも、魂は生きてる みたいなことになる。


妻も、桜のようであってほしい。


肉体はなくなったが、魂は生きていてほしい。


そうであったら、
私が今抱えている、悲しみ、後悔、喪失感は、
きれいに消え去るのだが。


私にとって、
いないものを想うより、
いるもの”との繋がりを感じてる方が、
幸せであることに間違いはない。


私が幸せな自分に戻る時とは、
妻を、
“いるもの”として確信する時であろう。

久しぶりの飲み会

3日水曜日、
9年前に辞めた会社のメンバーの飲み会に参加した。


私を除いた7人の内訳は、
2人が、妻が亡くなった翌年の2018年5月以来、
2人が、私の退職直後に飲んで以来、
3人は、いっしょに飲むのが初めての人
というメンバー構成だった。


18時半に始まり、3時間半の飲み会だった。


年数を経ているのに、みんな以前の外見とほとんど変わっておらず、
70歳を超えている2人、60歳を超えている1人も、
引き続き働く意向があり、元気だった。
やはり、仕事をしていると、年を取らないのかな 
と思った。


仕事をしていないのは私だけであり、
話題がついて行けるかどうか少し心配だったが、


この飲み会には来ていないが、私が知っているこの会社の人の今を
聞くことで、会話は成り立った。


すでにこの会社を辞めている人も、いい転職をしたり、
公務員になったりして、立派に働いていることがわかった。


この人たちを見ていると、
これからの生活をいかに良くするかを考えながら
生きてるように思えた。


幹線道路を、真っ直ぐ前を向いて歩いてる感じだ。


私の場合は、
妻の死後、
幹線道路から分岐した細い道をあえて選び、歩いてる感じだ。


この道を歩く方が、
雑音から離れ、静かに妻を想いながら歩けそうだと思ったので。


以前は、私も幹線道路を歩いていたと思うが、
今は、私は違う世界に入っていると感じている。


久しぶりに3時間半だけ幹線道路に戻ったのだが、
懐かしさもあり、楽しいには楽しかったけれど、
違う世界の人に話を合わせるしんどさもあった。


この飲み会に私を誘った同僚は、半年前に妻を亡くしており、
子供がいないという点でも同じであり、
お互い共通の話が出来る相手なのだが、
このような飲み会では、雰囲気的に、
死別に関する話はしにくかった。


彼も、死別経験の先輩として、私の話をもっと聞きたかったのか、
今度、また会うことが約束された。
席が私と彼の間だった女性が、「私も」と言ったので、
3人で会うことになりそうだ。