これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻が私に残してくれたもの

今の私は、多分に妻の影響を受けている。
妻以外の女性と結婚していたら、今とは違う自分になっていただろう。


私は都内のマンションに住んでいる。
妻との出会いがなければ、この場所、このマンションには、
住んでいなかっただろう。


妻が、仕事帰り、不動産屋に飛び込み持ち帰ったチラシがきっかけで、
このマンションを購入することになった。


妻が持って帰ったチラシは、中古のワンルームマンションだった。


そのチラシを見て、都心は、絶対無理と思っていた私の固定概念が崩れた。


その価格を見て、購入可能だと思った。


狭い、中古、この2点に目をつぶれば、郊外の広い新築物件より
安く手に入ることが分かった。


さすがにワンルームに二人で住むのは無理なので、
1LDKの中古を、15年ローンで購入することになった。


妻は、
切望していた、“通勤時間の短縮”を手に入れることになった。


私の給料が、高かったら、
妻は、都心で、新築で、広いマンションに住みたかっただろうが、
私の給料を考えて、中古のワンルームマンションのチラシを見せるという、
気遣いをしたのだろう。


住まい以外に、
心の面でも、私は、妻の影響を受けている。


妻の父親は、仕事の傍ら、論語を学んでいた。
妻が幼い頃、二人の姉とともに、3人並んで座らされ、
父親から、論語を強制的に読み聞かされていたと、
妻から聞いたことがある。


自ら学んだ訳ではないことから、
妻は、論語の本は一冊も持っておらず、
論語の内容について、妻が話すのを聞いたことがなかった。
ただ、渋沢栄一については、よく知っていた。


普段は軟弱な態度を取っていても、
自分を低く見せて振る舞っていても、
妻は、流行に流されない、どこか芯がある人に見えていた。


そういう妻といると、どこか、心が落ち着き、安心感があった。


父親から、いやいやながらでも、「論語」を聞かされていた経験は、
知らず知らずのうちに「論語」が、妻の体の中に入っていたのだろう。


物理的な面では、出来ないことがたくさんあった妻だが、
精神的な面で、“生き様”など、たくさんのことを、私に見せてくれていた。


妻に直接言ったことはないが、
心の中では、本当に感謝している、


妻は、
たくさんのことを、私の心の中に残して旅立った。


心の中にいる妻は、
私が生きている間、ずっと影響を与え続けるだろう。

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