これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

色々な人生の選択

以前は「妻という存在」が私の心の中に軸を作ってくれていた。
軸があることで、安心と安定と喜びを持って生活出来ていた。
そしてそれらが、私に生きるエネルギーを与えてくれていた。


軸が無くなった今は、
物理的な生活部分は以前と変わらないが、心の部分が変わった。


天気で言えば、
曇り空で、雨がいかにも降りそうな状態が毎日続くという感じが近い。
太陽の光は、妻が亡くなって以降、2年間一度も見ることが出来ていない。


今後もこのような曇り空が永遠に続くことはわかっている。
構造的にそうなっているのだろう。



死別経験者の中でも、
”喪失の大きさ”は人によって差があるように思える。
そして、その後の人生の選択にも違いがあるみたいだ。


一つに
再婚して、幸せに過ごしている人がいる。
配偶者への思いが残りつつも
新しい人生を切り開こうとしているのだろう。
その選択は間違っていないと思う。


一方、私のように、
妻の肉体が無くなったことは認めざる終えないが、
魂というものがあることを期待しつつ、
引き続き妻と共に歩もうとすること、
それが幸せと感じる者もいる。
こちらも間違っていないと思う。


私の場合、妻とは余りにも強力な接着剤でくっついていたので、
剥がして他のものに取り替えることは不可能だと感じている。


妻を喪って2年が過ぎ、わかったことは;
・喪失感は一生、私の体の中に住み続け、消えることはないということ
・”妻の魂の存在”を私はずっと探し続けるだろうということ
・自分が“俗世界”と“出家の世界”の間の世界にいるということ


以上のことは、時間と共に変化していくことでしょう。


1年後には、新たな気づきがあることを願いつつ、
これからも喪失感と戦いながら生きて行きます。


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昨日は「即位の礼」だった。


私は、いつもは自分の部屋でテレビを見ている。
今日は、妻の遺骨が置いてある部屋に移動してテレビのスイッチを入れ、
皇室関係の番組が好きだった妻に
“即位の礼”関連の番組を見せてあげた。

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