与え切れなかった 無念、後悔
妻を亡くした後、心の中に、何か イヤ~なものが、
消えずに残っている。
このモヤモヤとした感覚はどこから来ているのだろう?
消化されずに、物が胃の中に残ったままでいるような感覚が、心の中にある。
その残存物とは、
妻に与えたかったにも関わらず、与え切れず残ってしまった物である。
何を与えたかったか と言うと
それは、“妻が抱えていた生きづらさ”を取り除く「心の薬」だ。
薬と言っても、薬局で処方されるものではない。
具体的に言うと、
「妻の存在を肯定する言葉」、「心に余裕を持ってもらうためのお金」などだ。
これらを、与え続けることで、
妻は自分に自信を持ち始め、生きづらさを軽減することが出来たはずだ。
そうなることが、私の心の喜びであり、目標でもあった。
しかし、妻との生活が、まだまだ続くと思い込んでいたため
与えるスピードがスローになってしまった。
。
そのため、30%位しか与えていない状態で、妻は逝ってしまった。
残り70%程の残存物が私の心の中に残っている。
私が毎日感じている“気持ちの悪さ”の正体は
この“残存物”であろう。
その残存物を、減らすためには、
“人”であれ、“事”であれ、
妻の代替となるものを見つければいいのだろうが、
それは、不可能と言ってよいだろう。
多くの人が、故人に対して、
「ああすれば良かった」「もっと○○してあげれば良かった」など、
後悔の念が残りがちだ。
人間というのは、
「もっと、もっと」になりがちで、
やったことが、完璧だと思える気持ちに至ることは少ない。
とは言っても、
私に足りなかったのは、
「人生、いろんなことが起こり得る」
という認識だ。
「やり切れなかった」という、
気持ち悪さが、一生残るのだろうか。