これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻の居場所

妻の居場所は、私と二人だけでいる時間と空間だけだった。


実家、派遣先の職場という、他にも妻が身を置く時間、場所はあったが、
こころを解放し、妻の良さが出るのは、
私といっしょにいる時だけだった。


妻は、独特の価値観を持ち、まわりの空気を必要以上に読むことはなかった。


そういう妻の独自性が、
マイノリティーに属してしまうことで、周りから理解されないことが多く、、
妻にとって居心地が悪いものになっていた。


私は、そういう妻を、変わっているとは思わず、
個性として捉え、面白い人だとして、受け入れていた。


しかし、時々喧嘩もした。
原因は、妻の独特のこだわりに、時々、私が同調出来ないことがあり、
ぶつかることがあった。


ただ、喧嘩をしている時、不思議と、憎しみの感情が出ることは1度もなかった。
喧嘩をしている最中も妻に対する愛情が増すという、変な心の状態であった。
しかし、表面上は普通に喧嘩だった。


喧嘩は3日ほど続き、最後、私が謝ることで収束するのが常だった。


初日、2日目で謝ってしまうと、妻にはまだエネルギーが残っており、収束しない恐れがあった。
3日目位だと、妻も疲れて来て、私の謝りに納得して、戦争が終わることが出来た。


喧嘩をしている時はしんどいが、
終わったあとは、
妻との繋がりがより強くなった感じがあった。


喧嘩をしている時の、妻の集中力は凄まじく、
私の目をぐっと睨みつけて、微動だにしなかった。
その妻の顔を見て、私はオカシクなり、笑いそうになるが、ぐっとこらえていた。
妻の、怒った表情、哀しい表情、おどけた表情、どれも私にとっては、
どんな女優の表情よりも、インパクトのあるものだった。


その表情は、妻亡き後、今でも鮮明に思い出される。


このような妻の表情は、外にいると出なくなっていた。
感情のない能面のような表情だった。


妻の “いい表情” を見ることが出来きたのは、
世界で私ひとりだったかもしれない。


それくらい、妻は私に心を許し、私に期待しているようだった。


私は、その期待に応えられていたのだろうか。


妻との生活を振り返りながら、


「もっと居心地のいい “居場所” にしてあげられたんじゃないか」
という気持ちが残っている。

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