これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“寿命”は決まっている

人間には寿命がある。
それは、生まれた時に、すでに決まっている。


3歳で亡くなる子供。100歳超えて亡くなる人、
それは、人により大きく異なる。


永遠に生き続ける人はいない。
人は必ず1度生まれて、1度死ぬ。
これだけを考えれば平等だ。


妻は57歳で亡くなった。
57歳が寿命だった。
平均よりだいぶ短い寿命だった。


この57歳という寿命は、どういう風に決められたのか。


私との結婚生活が、24年半と決められていたことになる。


この24年半というのは、どういう風に決められたのか。


これより長くされなかったのはなぜか。


たくさんの要素が絡み合って、複雑な計算によりはじき出された数字なのか。
言葉で説明するには、複雑すぎるのか。


説明はないが、57歳というのは、動かざる事実だ。


妻は57歳で逝ってしまったが、例えば90歳で亡くなったとしたらどうだろう。


同じように私は悲しさで涙を流すだろう。
喪失感も同じだ。


早く亡くなる事は悲しい。
長生きしても悲しい。



私の寿命は何歳とされているのだろうか。

私の想像になるが、


この世において、私は、毎日妻を想っている。
その“想いの量”が、
神様が用意した容器満杯になった時、
神様は「そろそろ会わせてあげよう」という思いになる。


早く妻に会うためには、
妻への想いを毎日休まず積み重ねていくことだ。


そうすることで、
神様が「その想いの総量」を承認してくれる時が来る。


その時の年齢が私の寿命であり、
妻に会える時だ。

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