これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「バーチャル」と「リアル」

私は、妻との老後生活を楽しみにしていた。


そのため、倹約により老後資金を残し、健康にも気を配り、


会社をやめた後も、妻に生き生きした自分を見せ続けるため、
「定年がない活動探しのためのセミナー」を見つけては、
参加していた。


着々と準備が出来ていると感じていた。


私は、普段、
妻が亡くなった場合の想定も頭の中でやっていた。


もしそうなった場合、
シミュレーションであっても
これは衝撃的で、
自分がこれ以上のない悲しみに襲われる感覚が
実感出来ていた。


心への影響は、とてつもなく大きいと予想出来ていた。


しかし、そうなるのは
まだ先の、二、三十年後だという考えが、
心の中のどこかににあった。


ところが、まさかの想定外が起こった。
こんな現実が、なぜ今ここにあるのだろうと思った。


妻は、私の目の前から姿を消した。



「緊急事態宣言」が発令され、家の中にいることが増えている。


私は、
部屋の掃除・整理、パソコン内で散らばっている妻の写真や動画の整理に
時間を当てている。


写真や動画の中のバーチャルな妻を、
リアルな妻に少しでも近づけるためには、
想像力をフル回転させなければならない。


それらを見ていて、
妻だと感じる瞬間があり、
私の体を揺れ動かすこともあるが、
残念ながら、
頭が冷静にバーチャルだと判別するのが普通だ。


頭の中に残っている妻の
「表情」、「雰囲気」、「声」を
その画面に、どれだけ重ね併せることが出来るかで、
リアル度合いが違ってくる。


「バーチャル」は、
頭では反応しても、
心を揺り動かすことは出来ない。


夢の中の妻、写真の妻、妻そっくりの“声・姿”を持ったロボット、
3D映像の妻、
すべて「バーチャル」だ。


バーチャルな妻では、リアルの妻の代替にはなり得ない。
バーチャルは、リアルの劣化版ではなく、別物だ。


リアルな妻を感じたい。


この「無理難題」を叶えてくれるのは、誰だろうか。

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