これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

なぜ健康に気を配る

私は「健康番組」を、妻が亡くなる前も、
亡くなった後もよく見ている。


「健康番組」を見る目的は、健康でいたいからであり、
それは、長生きに繋がる。


しかし、そこで疑問が沸いてきた。


私は、妻を亡くしてからは、長生きする必要がなくなったはずだ。


そのような番組は見る必要ないはずだ。


なのに見ている。


最近、そのような自分の矛盾した行為に気が付いた。


なぜだろう。おかしい。


妻の生前であれば、
その目的は、


妻と出来るだけ長くいっしょにいたい、
健康な状態で妻と過ごしたい、
私が妻を看取りたい、


そのために長生きしたいのであった。


では、なぜ今も「健康番組」を見る。


本当は、一人の生活を長く楽しみたいのでは。


健康な体でもって、これからの余生を、楽しみたいと思っているのでは。


そういう疑惑が出てくる。


いや、それは考えられない。


一人で生きることには意味がないし、
余生で楽しいことは、もうなくなったと言っていい。


なら、どうして。


もう少し深く考えてみた。


ここからは想像の世界に入る。


この行為をさせているのは、何か。


見えていない意識が作用して、私を動かしているのではないか。


そのひとつ
「妻が天から私を見ている」という感覚が、
無意識レベルで私の中にあり、


元気な姿を妻に見てもらいたい、安心させたい
という思いがあるのかもしれない。


もうひとつ、
万が一、妻と再会することを想定して、


弱った姿を見せたくない、
出来るだけ若々しい姿を見せたいという思いが、
これもまた、無意識レベルで私の中にあるのかもしれない。


見えないところで、目的が作られている。


そうであれば、
「健康番組」を見ることは、無駄ではないということか。

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