これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“無”を想うことは出来るか?

妻のすべては無くなって、何も残っていない。
それとも、見えないけれど、何か残っている。


この、どちらかしかない


この答えを、生きている間で、知ることは出来ない。


私は、後者だと思っているから
妻を毎日想い続けている。


もし前者のように、妻が“無”になっているとしたら、
無いものを思い続けることは可能だろうか。
そんな難しいことが出来るだろうか。


その場合、こちらの“想い”は妻に届かないことになる。


“想い”は行き先が見つからず、空気中を彷徨った後、
蒸発して消えていく。


生きていくためには、
“生きがい”を持っていないと、やっていけない。
そうでないと、生きて行くことは出来ても、
「生ける屍」になってしまう。


「社会貢献活動」、「スポーツ等の趣味活動」、「自然とのふれあい」、
「人との交流」、「再婚」、等、
“生きがい”の候補はいくつかある。


ただ、
妻の代替となるには、どれもあまりに力不足。


やはり、妻には、居てもらわないといけない。
“無”では困る。


やはり今まで通り、


妻は“無”になっていないという前提で、
妻を想い続けること、


これが、
私がこの世で生きていく唯一残された道、
という結論になる。

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