“無”を想うことは出来るか?
妻のすべては無くなって、何も残っていない。
それとも、見えないけれど、何か残っている。
この、どちらかしかない
この答えを、生きている間で、知ることは出来ない。
私は、後者だと思っているから
妻を毎日想い続けている。
もし前者のように、妻が“無”になっているとしたら、
無いものを思い続けることは可能だろうか。
そんな難しいことが出来るだろうか。
その場合、こちらの“想い”は妻に届かないことになる。
“想い”は行き先が見つからず、空気中を彷徨った後、
蒸発して消えていく。
生きていくためには、
“生きがい”を持っていないと、やっていけない。
そうでないと、生きて行くことは出来ても、
「生ける屍」になってしまう。
「社会貢献活動」、「スポーツ等の趣味活動」、「自然とのふれあい」、
「人との交流」、「再婚」、等、
“生きがい”の候補はいくつかある。
ただ、
妻の代替となるには、どれもあまりに力不足。
やはり、妻には、居てもらわないといけない。
“無”では困る。
やはり今まで通り、
妻は“無”になっていないという前提で、
妻を想い続けること、
これが、
私がこの世で生きていく唯一残された道、
という結論になる。