これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

普通が大事

以前は、
私は社会の中で普通の位置では物足りないと思っていた。
平均よりは裕福になりたいと思っていた。
社会で普通以上に認められる人でありたいと思っていた。


しかし、私は普通のままでここまで来た。


妻は、
普通以上であることを、私に求めることはなかった。
それは、妻にとって重要なことではなかった。


妻にとって重要なのは、
私が、自分を愛してくれることであり、
それだけでいいという感じだった。


私に対して、高いハードルは設けなかった。
それほど才覚のあるほうではない私にとって、
普通であれば十分だと思ってくれていた妻は、非常に有難かった。


このように、
妻は、現代人の中では、そう多くないタイプの人だった。


でも、妻を喪って、チラッと思うことがある。


妻は、本当に“普通”で満足していたのだろうか。


私の給料がもっと高ければ、
ブランド品の服やバッグ等を、本当は持ちたかったのではないか。
もっと広く、中古ではない、きれいなマンションに住みたかったのではないか。


私の力の無さをわかっていて、欲求を抑えていたのでは。


妻は、
自分の母親や姉との電話の中で、今の生活を聞かれ、
いつも、
「幸せだ」と答えていた。


“普通の人”である私、“普通の人”で満足する妻、
「組み合わせとして、これで良かったのかも知れない」
と思ったりもする。


妻がいなくなった今、普通以上を目指す必要はなくなった。


私と妻との関係は、
「南の島の国」型と言えるのではないか。
周りと比較する必要もなく、二人の関係だけを考えればいい。


先進国ではこうはいかない。
妻は主人に対し、
人に自慢が出来、出世、高い給料、いい住まい 等
を求めてくる。
“普通の人”では、許してくれない。
(全ての夫婦がそうだということではない)


人と話す機会があった時、
私は相手に、
「自分は失ってしまったけれど、“普通の生活”ほどありがたいものはない」
と伝えるようにしている。
(相手は、あまりピンと来ていないようだが・・・)

×

非ログインユーザーとして返信する