これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

 “寿命”

人間はなぜ死を恐れるのか。


私は妻と生活していた時と比べて、
恐れは十分の一くらいになったような気がする。


それは、
失うものがなくなったためかもしれない。


怖くなくなったからと言って、
それを選ぼうとは思っていない。


自分の命は天に任せるつもりだ。


そうすることで、
どういう生活をすれば長生きするか とか、
早く死ぬにはどうすればいいか など、
余分なことを考える必要がなくなり、
心が軽くなる。


尊厳死については、いろいろ議論されているが、
それぞれの、その人の現状、考え方で見方が変ってくるので
これが正しいという解答ははないと思っている。



今日一日だけを考えればいい。
妻を想う心が劣化しないことだけを考えて、毎日を送ればいい。


そして、天が決めた寿命が来た時は、
静かにそれを
受け入れればいい。


降りる駅を知らないで電車に乗っていても、
降りる駅に着いた時には、降りるよう、知らせてくれる。
それまでは、ただ座席に座っているだけでいい。


今、私が生きているのは、
何か意味があるからだと考えている。


それは、今はわからない。
いずれ分かるか、
ずっと分からないかも知れない。


ただ、それぞれの寿命には、何か意味が隠されているようでならない。


妻の寿命も、
決められた意味に従って進められた結果だったのかも知れない。


私は、その意味を、まだ知ることが出来ない。


私が降りる駅を知らされた時、分かるかもしれない。


そこに至っても、分からないままかもしれない。

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