これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私の妻 ⑦ 不器用だった妻

4月、5月にコロナで中止となっていたバイト先のミーティングが
水曜日、リモートで行なわれた。


私は会社まで行く時間を別のことに使え、
会社としても、交通費の支出を減らせる。           
いい点は多い。


しかし、IT化が進むことで、それがすべてだと思い込み、
アナログを軽視、馬鹿にする風潮が蔓延することを心配する。


アナログの持つ、肌感覚、言葉以外から得られるもの
も大事です。
バランス感覚が失われないことを願う。


私は、アナログ思考の人間だが、
妻は、私以上にITが苦手で、
パソコンに不具合が起こると、すぐに、私の部屋に入ってきて
「パソコンが動かなくなった」
と言って、私に助けを求めてくることが度々あった。


私が別のことをやっている時に来られると、
私は少しイラついて、
「簡単にちょこちょこ来ないでよ。少しは自分で努力したうえで、
ダメだったら来るようにしてよ」
と冷たく当たったことが何度かあった。


すると妻は、私に気を遣うようになり、
テレビのBSが移らなくなったとき、便利屋に頼むことがあった。


それを知って、切なく、かわいそうなことをしたと後悔した。


努力しても、苦手なことは出来ないこともある。


私には、包容力が欠けていた。


妻は、学校の勉強はよく出来ていたみたいだが、
他の人に比べて、不器用なところが多く、
生活においては、ちょっとしんどいところがあった。


私も、どちらかというと不器用な方なので、親近感があり、
二人がより一層繋がる要因の一つだったのかも知れない。


妻の不器用さは、
私にとっては欠点ではなく、
長所に見えていた。


“その不器用さ”が、
逆に妻の人間味を増す要素になっていた。


不器用そのものは間違いなく欠点になるが、
全体の中の1つとして捉えると、
不思議な事に、大きな長所に変化する。


それがあることにより、
妻の持っている“いいところ”が、
より際だって見えてくるのだ。


妻に、この“不器用な面”が無かったとしたら、
私は、これほど妻に引かれることはなかったかもしれない。


一緒に何かをする時にイライラしても、
後になって必ず、愛おしい気持ちが、湧き上がるのだった。


“不器用さ”は、
妻の“最大の持ち味”だった。

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