「想うこと」 にはお金がかからない
田舎にいる姉からラインが来た。
相続で、
父親名義を弟名義に変更して売り出していた空き家が、
売却出来たことを機に、
姉が管理していた現金のうち、
今後、“墓じまい”の可能性もあることから
菩提寺にかかるだろうお金は残し、
それ以外の現金を、4人(姉私弟妹)で分けようと思う。
という内容だった。
父親の介護にお金が思ったよりかかっていたため、
その金額はわずかではある。
私は、姉からのラインに返信した。
その内容は、以下の通り。
「そのお金は、私を除く3人で分けてください。
私には子供がいないし(姉弟妹には、それぞれ2人ずつ子供がいる)
自分のために使う対象も見つかりません。
今後、自分の人生は、○○さんを想うことに集中して
時間を使いたいと思っています。
「想うこと」には、お金がかかりませんので。」
ざっと、この様な内容。
まさか、お金の分配の話に対して、
2年9ヶ月前に亡くなった妻のことが出てくるとは
思っていなかっただろう。
姉弟妹の戸惑った顔が想像される。
どう返信するか困っていると思う。
1日経って、まだ返信は来ていない。
“きれいな話”でまとめたい訳ではない。
自分を聖人化したい訳ではない。
生活の変化でお金がかからなくなった者から、
お金がかかる者に分配することは、
自然で、至極合理的な考えだと思う。
そういうことで、
妻がいた時に比べて、
私の生活は、シンプルになった。
たくさんのことを考えなくても良い。
一つだけ考えていればいい。
でも、
たくさんのことを考えなければならなかった頃に
還りたいのは言うまでもない。