これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

妻のすべてを失った日

3年前の今日、10月9日、
私は、亡くなった妻の、「直葬」を行った、


すなわち、通夜や告別式を行なわず、火葬のみを行った。
参列者は私だけ。


妻の親族には、母親と二人の姉がいるのだが、
闘病中、妻は、その人たちが見舞いに来るのを
何度も断り、一度も会うことはなかった。


そういうこともあり、参列は私一人で行った。


癌の告知を受けたあと、
妻は自分の弔いについて、
お墓に入るのは絶対嫌だと言い、
“散骨”を希望した。


“散骨”だと、妻を拝む場所が見えなくなってしまうため、
自宅に遺骨を置く「手元供養」というカタチを、
私は、妻に提案した。


妻は、「それがいい」と嬉しそうに答えた。


いろいろ、普通と違う供養のカタチになるが、
すべて妻の要望通りに、事を進めると決めていたので、
そうした。


3年前、
6日に、妻の息が途絶えた。
9日には、骨だけを残し、妻の体がなくなった。


6日は、まだ妻の姿かたちが残っていた。
9日は、妻の姿かたちがなくなった。


姿がなくなることは、
とてつもなく悲しいものだと思った。


そのため、涙をこぼすことがなかった6日に対し、
9日は、
棺が火葬炉に入っていくのを見て、
涙が眼球を覆った。
しかし、ぐっと我慢して、こぼれ落ちるのを防いだ。


“妻の姿かたち”は、
パソコン内の写真と映像、
そして、私の頭の中に残っている残像のみとなってしまった。


もう二度と“本物の妻の姿かたち”を見ることが出来ない。


残るは“魂”のみなのか。


期待することは出来ない。

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