これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“妻の記憶”ウイルス

私はウイルスに感染している。


コロナウイルスではない。
亡くなった“妻の記憶”が及ぼすウイルスだ。


私が生きる目的を失っている原因を作っているのは。
このウイルスで間違いない。


以前と同じように、気持ち良くなる瞬間はある。


おいしいものを食べた時、
スポーツをやり終えて爽快な気分になった時、
持っている株が上がって、気分がよくなった時、
アルバイトをやり終えた時に湧き上がる達成感を得た時 など、


しかし、以前と違うのは、


気持ち良くなった直後に、
このウイルスが、ブレーキをかけてくるので、
その喜びが、その場で消えて行ってしまう点だ。

数秒の出来事だ。


そのウイルスは、私が喜びかけた直後、
「そのことは、私の目的ではない」と知らせて来る。


目的ではないとわかった私は、
喜びに値するものではないと認識して
ため息をつく。


この繰り返しが、1日の中で何度も起こる。


それは、妻がいなくなってから、2年3ヶ月続いている。


今後も、続くことは、確定したと言い切っていいだろう。


このウイルスが消滅すれば、
「こういう生活に終止符が打たれるのでは」と考えたりもする。


しかし、同時に、
“妻の思い出”を持たない生活になってしまうということだ。


頭の中に妻がいなくなることは、
私の生活の質が下がることに繋がる。


重要度を加味した加重平均で考えると、


美味しいものを食べた後の幸福感、物事をやり終えた達成感などは、
“妻の思い出”に比べれば、ほとんどどうでもいい数値になる。


やはり、“妻の記憶”は残しておかなければならない。


私の“生活の質”を落とさないためにも。

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