これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「バーチャル」と「現実」

コロナ禍で、いろいろとニュースが、
テレビや人の会話の中で流れている。


妻がこの時期に生きていたら、


どんな会話をしていただろう。
どんなコメントをしていただろう。


妻を、頭の中でこの世に引き戻して
考える事がある。


テレビに出ているコメンテーターのコメントが、
ほとんどこちらが予測出来るのに対し、
妻のコメントは、自由奔放でハッと気付かされるものがあり、
いつも楽しみにしていた。


妻への喪失感には色々なものがあるが、
このコメントを聞けなくなったことも大きい。


“妻との24年半の生活”で頭に保存されたデータを
フルに使って、妻を再現する。


その再現された妻が、
このコロナ禍でどういうコメントをし
どういう行動を取っていたかを、
想像するしかない。


頭の中に写し出された妻は、
いくら丁寧に再現されたとしても、
バーチャルはバーチャルで、現実とはちがう。


話は変るが、
先日、テレビでやっていた“ゴジラの映画”をたまたま見た。


私が小学生の時、制作されたものだ。
手作り感が伝わってくる。


時間とお金をいかに無駄なく使い、効率を求められる現代では、
昔のこのような費用対効果が悪い映画を見ることは、
今では、稀になっている。


しかし、
現代人は、思った以上にバーチャルを受け入れており、
こちらの方がいいという人もいるので、
今の時代は、こういう制作方法でいいのだろう。


私は、
昔の手作りのゴジラの方が、いいと思っている。


指先だけで、パソコン上で作成したものよりも、
体に浸みてくるものがある。


多分、こういう私は、少数派だと思っている。


妻の話に戻るが、
頭の中の妻は、バーチャルの妻だ。
本物ではない。


これからも、バーチャルの妻と付き合っていくしかない。


ただ、
1つだけ
バーチャルの妻から抜け出す道がある。


それは、
「スピリチュアルの世界」


現実的でないことは分かっている。


このスピリチュアルの世界を、
“おまけ”として位置づけると、バランスがよくなる。


現実の世界に目をそらすことはしないが、
その“おまけ”に密かな期待を持ちながら生きる。


そういう生き方を、
妻を亡くして以降やって来たが、
今後も続けていくだろう。

×

非ログインユーザーとして返信する