これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

視野の拡がり?

妻を亡くしたあと、
俗世界しか見ることがなかった自分が、
もう1つの世界を見るようになった。
それは、「あの世」。


以前は、ほとんど関心のなかった世界だ。


妻がいるあの世はどのようなところなのか
私が亡くなったらあの世にいけるだろうか
あの世に行けたとしても、果たして妻に会えるのだろうか
生きている人間が作り出した実体のない“気慰めの世界
かもしれない


そんなことを考える時間が、1日の中で多くなっている。


複眼的になった?
生活の中で、2つの世界を対比するようになった。
そういう意味では、“宇宙的”規模?で
視野が広がった感じもある。


逆に、
“俗世界内”の事に対しては、関心事が大きく減った。
“地上的”には視野が縮まったとも言える。


私のように、
60代半ばという年齢がそうさせているのもしれない。


もっと若くて、
この俗世界との付き合いがこの先長い人は、
そうも言ってはいられないだろう。
俗世界に自分を適用させることに
まだまだ関心を払わざる得ないだろう。


妻は、天から私を見守る立場になった。
私は、見守られる立場になった。


私は、妻がいることで、自分の存在を認識出来ていた。


一人になると存在が認識出来なくなっている。


人間は、
他者から見られることで自己存在を確認する『相対的価値観』
を常に持っている。


自分は何者だ。 
自分の存在が揺るがされている。


何より変ったのは、“夫婦”から一個人の生活になったこと。
妻との新たな関係に、まだ適用出来ていない。


物理的には適用出来ているが、
精神的にまだ適用出来ていない


“夫婦”という居心地がよかったものに慣れすぎた反動か。


命についても考えるようになった。


大げさに思えるかもしれませんが、
鳥や動物はもちろん、草木にまで命を感じるようになった。


トマトにも命がある。
その命あるものを食べることは命と命の繋がりを感じる。


以前はそんなことは考えなかった。
トマトという野菜を食べたという感覚だけだった。 


すこし “仙人” ぽくなった。 
いや、かなり。


妻が私に残したもの
それは、視野の拡がり。

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