これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

“妻の顔”の記憶

コロナ禍で、人の顔は、マスクをした顔ばかりになった。


目が慣らされてきたためか、違和感がなくなった。


たまに、マスクをしていない顔を見ると、
最近は、そちらの方が、違和感を覚えたりする。


妻の顔は、4年間見ていない。
写真や動画では見ているけれど、リアルの妻の顔は見ていない。


今後も、見られないことになっている。


平面に映し出される妻の顔は、
幸い、写真やパソコン内にたくさんあるので、
何年経っても、見ることは可能だ。


しかし、“立体感”、
そして、
妻の身体から感じる“体温”、発せられる“波動”は、
こちらに伝わってこない。
写真ではコーティングが、パソコンではパネルが遮っているから。


その物足りさを感じた時、
「妻は、もういない人なんだ」と、
改めて念を押され、現実を認識させられる。


妻の闘病中、
看護師が、「奥さんとご主人、似てますね」と言った。


顔が似ているのか、雰囲気が似ている と言っているのか、
聞き返さなかったので、どちらなのか分からない。


よく、“夫婦の顔”は似てくると言われる。


もともとは、違った顔だったはずだが、
一緒に生活している間、
相手の表情や醸し出す雰囲気が、頭の中に記憶、蓄積され、
知らず知らずに、似た表情を作り出しているのだろう。


顔の雰囲気が似てくるのであって、
顔のパーツが変ったという訳ではないだろう。


似ていると言われて、私は嬉しかったが、
妻は、意識はあっても、目を閉じた状態で反応がないため、
それを聞いて、どう思っていたかは分からない。


思い起こせば、
一緒に生活するうちに、
妻は、
私の行動を真似するようになっていたような気がする。


少なくとも、似ることが嫌ではなかっただろうと、
勝手に思っている。


ドキュメンタリー番組に出ていた、広島の原爆被災者である90歳代の男性は、
原爆で妹を亡くした。
妹の “遺骨” と “写真” は、見つけることが出来ずにいる。


残っていた “妹に似ていた姉の写真” を見ることで、
亡き妹の顔を頭の中に描き、
妹を思い続けている姿があった。


私の場合、
妻の “波動” と “体温” を,
二度と感じることが出来なくなった訳だが、
“遺骨”と“写真”は、手元にある。


比較の問題になってしまうが、
“それだけでも良しとする考え” も必要かと思ったりもする。

×

非ログインユーザーとして返信する