これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

私が今いる位置

最近、
以前と違う位置に、私はいるような気がする。


社会的な位置を言っているのではない。


空間としての位置である。


以前いた位置は、地上


今、私がいるのは、
地上ではなく、空の上


4年前、妻を喪った時から、ここに来ている。


地上からは見える成層圏内の空の中であり、
「地上」と、「成層圏を越えた“天”」との間に位置する中途半端な場所だ。


この場所から、“地上”を見下ろすことは出来るが、
“天”を見ることは出来ない。


妻は“天”にいるので、
見ることが出来ない。


それでも、
成層圏を越える時が、いずれ訪れるだろう。
しばらくは、この位置で待機だ。


視線を下に向けて、地上にいる人々の言動を観察していると、
地上にいた時に見えなかったものが見えてくる。


出世すること、お金持ちになること、名誉を得ること、
成功して人の注目を浴びること 
などに躍起になっている人々の様子が俯瞰して見える。


私も、地上にいる時は、そうだった。


「たかが、長くて100年の期間だけの満足のために、
そんなに一生懸命になることないのに」
と思ってしまう。


この位置に移ってから、そう思うようになった。


これは、妻の“死”がそうさせたのであって、
俗世界の枠から、一歩踏み出した感じだ。


以上、
空想にふけることで、現実逃避してみました。


空想にふけることは、よくないイメージがありますが、
空想にふけることが、より良い思考回路を促進する
という最近の研究結果もあるようです。


調子に乗って、
更に、
空想の中から浮かんだ言葉を、並べてみました。


妻は理由があり生まれてきた 
私も理由があり生まれてきた


妻は理由があり私より早く亡くなり、成層圏の外に行った
私も理由があり、まだ成層圏の中にいる


すべてに、理由がある。


確かに、
「空想」は、
気持ちの中にある「しこり」を、
多少なりとも、ほぐしてくれるようだ。

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