これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

「難民映画」を見て感じること

毎年秋口に開催される難民映画祭を、今年も見た。


コロナ前は、開催する会場に直接足を運んで見ていたのだが、


2年前からは募金つきオンラインシアターとなり、
自宅のパソコンで視聴している。


2000円の視聴料に加え、募金0円、1000円、2000円の
3通り選択制だが、今年は、1000円の募金を選んで視聴した。


今年は、ミャンマーのロヒンギャ難民、シリア難民などの5作品だった。


会場で視聴することの良さは、


上映後や上映前にトークイベントがあること、
会場にどんな人が来ているのかを、目で確かめることが出来ること。
小学生から80歳代に見える人まで、
幅広い年齢層の人が来ていたという記憶がある。


一方、オンライン視聴のいい点は、
会場までの往復時間が削れること
期間内であれば自由に視聴出来ること
すなわち、“時間”のメリットだ。


それぞれ、いい点、良くない点がある


私は難民とは、全く無関係な人間だ、
なぜ、私はこの映画祭に参加するのか。


はっきりした理由は思い浮かばない。
映画を見た後に、
身が引き締まる思いになるのは感じている。
それが理由かもしれない。


難民生活を強いられている人たちは、
精神的肉体的両面の苦痛を持って生活している。
更に、その終着点は見えない。


私の場合は、
大切な人を喪ったという精神的な苦悩がある。


私は、
家庭を持ち、幸せに暮らしている人」と自分を比べることで、
「自分は不幸なのでは」と思いがちだ。


それに対し、
難民の人々の生活と、自分の生活を比較することで、
「自分は、まだ恵まれているのでは」と思ったりする。


“比較”が、このような思考を生み出している。
私は“幸せねだり症候群”なのかも知れない。


比較に振り回されない“こころ”が必要であろう。


今後、
私が難民になることは、ほぼ無い。
「妻と暮らす家庭」を持つことは、完全に無い。


「ならない」「なれない」ものと比較して、
慢心したり、落ち込んだりする必要はないはずだ。


大谷翔平選手の記者会見を見た、
その中で、
女性記者から、メンタル調整に関する質問があった。


その質問に対して、大谷選手は、
「特に後半は、精神的にきつい場面もあり、
落ち込んだ時もあったけれど、試合は毎日あり、
「良かった」、「悪かった」は必ず起こる。
これは試合に出ているからこそ経験出来ることであって、
そういう意味で幸せなことで、
落ち込むことも含めて、いい1年だった。」
と答えた。


私の場合、
毎日、妻を想う生活をしている。
心地よい思いと、心が痛く感じる思いが、
同時に発生する。


この“心の痛さ”は、
妻との出会いがなかったとしたら、
発生しないものだ。


大谷選手の、「心の落ち込みは、試合に出なければ経験出来ないことだ」
に通ずる所がある。


心が痛い時も含めて、
残りの人生を、肯定出来るものにしたらいいと思う。

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