これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

余韻は残る

家へ向かう帰り道、風が吹いたのか、
目の前で桜の木から、たくさんの花びらが、
ひらひらと舞って落ちて来た。


その情景を見て、「綺麗だなあ」と思った。


しばらくして、
「儚いなあ」という感情も生まれた。


妻の人生とシンクロする。


綺麗だから儚いのか、
儚いから、綺麗なのか。


両方だろう。


満開の桜も綺麗だが、散りゆく桜も綺麗だ。


妻の人生も、綺麗であり、儚かった。


桜は、
咲いている期間が短いが故に、
“時間”を意識させられる。


命も必ず“生”と“死”があり、
その期間が長い人もいれば、短い人もいる。


桜の短い命は、“儚さ”を感じさせられ、
短い命だった人にも、“儚さ”を感じる。



パソコン内にある妻の写真や動画の整理作業を、
先日やっと始めた。


まず、
いろいろなフォルダに散らばっている画像のダブっているものを整理して、
スッキリさせることから始めた。


作業を進めていると、
在りし日の妻の姿が蘇り、余韻に浸る時間に入る。
妻との日常を思い出し、静かで穏やかな時間だ。


少しして、寂しさの感情が入り込んでくる。
「妻との生活は終わったのだ」という切なさ。


せっかくの心地よい時間を壊そうとする敵の侵入。
何とか食い止めようとするが、
敵はあらゆる方向から攻めてきて、結局侵入を許してしまう。


それまでの、穏やかな時間は、
一瞬にしてかき消され、戦いの時間となる。


写真より、動画の方が、
当時への記憶がより濃いものとして伝わる。


心地よさが濃くなるとともに、寂しさも濃いものとなる。
戦いがより激しいものとなる。


最後は、
「心地よさ」は、「寂しさ」に占領されてしまう。


妻の高校の同級生2人(男性、女性1人ずつ)が、
25日 月曜日 、
妻の遺骨に手を合せに来てくれることになった。


2人に見せる妻の写真の選別と、プリントアウト作業を
始めよう。

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