これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

後悔の軽減

後悔を全く持たない人はいないだろう。


私も、後悔はたくさんある。
頭に浮かぶものを挙げると、


お手軽な資格ばかりをたくさん取得した。
時間がかかっても、重みのある資格を一つだけ取ることに
力を注ぐべきだった。


今の中古マンションを契約した後、
入居する前のリフォームを実行するべきだった。


一度入居してしまうと、現状でいいと思ってしまい、
決断に至らなくなっていた。
新築に見える部屋に妻を住ませてあげたかった。


これらは、頭の中だけで感じる後悔だが、


胸が痛くなるような後悔は別にある。


妻との関わり方に関する後悔だ。


私に“気づき力”があれば、
妻を死なせないで済んだかもしれないという後悔。


妻のがんの兆候を見落としでしまったこと。
今振り返れば、そのサインはあったにもかかわらず、
気づけなかった。


ステージ4のがんの告知日から溯って、1年2ヶ月前、
私達はイタリア旅行に行った。


ミラノのドゥオーモ大聖堂、そして、ローマのコロッセウムを前にして、
妻は、「外で待ってるから、のらちゃん見てきて」と言った。


せっかく、イタリアまで来ているのに、不可解な人だと思いながらも
私は一人で見学した。


翌年、告知日の3ヶ月前に行ったニューヨークツアー最終日、
フリー行動の日も、
「疲れたので、一日ホテルの部屋にいるから、のらちゃん一人で見学して」
と言った。


今考えると、この時の妻は、
体内のがんの影響を受けていたのかもしれない。
体力が残っていなかったのだろう。


妻は、もともと体力も気力もない人で、
地下鉄に乗る時も、
乗車時間が5分位にもかかわらず、座れる電車が来るまで待つ人だった。


電車が来て、私が乗ろうとすると、座る席がないのを見て、
妻は、「私は次を待つから、のらちゃん、乗って」と言う。
そう言われても、乗るわけには行かず、私も一緒に次の電車を待った。


このような妻の特性が、
私の気づき感度を鈍化させたともいえる。


私の鈍感さが、
妻を死なせないためのチャンスを、取り逃がしてしまったともいえる。
そのサインを、がんに結び付けて考えることが出来なかった。


そして、もう一つ、
老後の二人の生活を見据えて、妻に倹約を強いたことも、
妻の反発を買い、
妻の体内の免疫力を奪った要因になったかもしれない。


最近、私は、
このような“後悔”から逃れて、心を楽にしてくれる考え方を、
見つけた。


それは、
すべてのことには意味がある」という考え方。


宗教に関わっている訳ではないが、
この考え方は、なぜかしっくりくる。


いつもは使えないが、時々使わせてもらっている。


妻と出会ったこと、
妻が57歳で亡くなったこと、
一人生活になっての日々の出来事、
将来、私の死ぬ時期、死に方、
これらすべてが偶然ではなく、必然だと思う考え方。


そう考えている時、
“後悔”の出番がなくなっているのに気づく。

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