心の中の残留物
『妻と出会っていなかったら』
私は、たまに、そんなことを考える。
誰とも結婚せずに、独身を貫いていたかも知れない。
その可能性はある。
今の私は、一人暮らしという点で、
状態としては同じだ。
ただ、
トーストと、サンドイッチのような違いはある。
サンドイッチには、食パンの間に具が入っている。
食パンの部分は一人暮らし、
間の具の部分は、妻ということになる。
そこが、少し違う。
私が結婚したのは38歳。
当時だと、だいぶ遅い結婚に見られる年齢だ。
見合い、恋愛、ともに複数回経験し、
結婚しようと思えば結婚出来る相手は何人かいた。
しかし、踏み切れなかった。
その相手に対し、
最低限50%のやさしさは出せても、
100%優しく出来る自信がなかったからだと思う。
相手に、申し訳ないと思ったからだ。
両親からしたら、
妻よりも、その人達との結婚を望んでいたはずだ。
なぜなら、
「家事、料理をしない」、「子供はいらない」
という、2大アピール?をする人は、
妻以外にいなかったから。
妻は、体が弱かった
というよりも、それ以上に、精神的にしんどいものを抱えていた。
結婚して、妻を見ているうちに、
妻が結婚前に言ったことが、理解出来るようになった。
両親や、私の会社の同僚や、同級生から見ると、
妻は怠け者にしか見えなかったようだが、
私は、本人のせいではないことはわかっていた。
脳がそうさせているだけなのだ。
そういう妻だから、
守ってあげることが、
私の人生の、最大の目的であり、喜びでもあった。
しかし、その“目的”と“喜び”は、
道半ばで奪われてしまった。
私は、他に取り立てて目的は持っておらず、
目的を持たない生活が強いられるようになった。
その消化仕切れなかった不完全燃焼物が、私の心の中に残る結果となった。
毎日、気持ちがスッキリしないのは、
この残留物のせいに違いない。
しかし、
この残留物の消化は、妻の存在なくしてありえない。
つまり、
死ぬまで、これを持ち続けることになる。
私が死ぬ時、
その残留物は、私の体とともに燃やされて、
消えていくだろう。