これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

隠れ家

「人生山あり谷あり」という言葉をよく聞くが、
概ね当たっているが、当たっていない部分もある。


今までの人生で、
谷底に落ちたと感じる経験は何度もあるが、
その後、底から抜け出し、
更に山の上まで登ったという経験が何度かある。


その時、「山あり谷あり」という言葉はその通りだと思った。


「死別」の場合はどうだろう。


それまで経験した山、谷とは、全く別物だと感じている。


死別経験者の中には、
死別後、谷底に一度落ちた後、這い上がり、
再婚したり、新しく生きがいを見つけたりして、
幸福になる人も少なからずいる。


しかし、
私の場合は、
再婚や、妻以外から、生きがいを見つけることで、
再度幸せをつかむことは難しいと考えている。


「決めつけてはいけない」 と言われるかも知れないが、
私は、そう思っている。


その理由は、
妻が私にとって、唯一無二の存在だったことが影響していると思う。


妻は、周りの人に比べて、少し違っている点が多かった人で、
その特性が、多くの人から、欠点に見られてしまう傾向があった。
しかし、
私にとっては、それが、個性、長所に見えていた。


そういうことで、
妻は、私にとって唯一無二の存在になっていた。


そのような人に出会うことは、
確率的にとても稀なことだと考えている。
実際、妻と出会うまで、そして、妻がいなくなった後、
妻のような人に、出会っていない。


相手に求めるものが、少し変っている私と、
少し変っている妻との出会いは、
大げさに言えば、奇跡だったのかもしれない。
この奇跡が、もう一度起こる確率は、極めて低いと考える。


現在、谷底に突き落とされて、4年半が過ぎたが、
当初は、這い上がろうとしていた。


しかし、這い上がったところで、
そこに、幸せが待っているかといえば、否である。


這い上がり、再婚などで幸せになった人は、
這い上がった甲斐があったことになるが、


先ほど書いたように、私の場合は、
そうならない人に分類されると思うので、
今のままでいいと思っている。


そう考えると、わざわざ陸上まで這い上がらなくても、
このまま、谷底に滞在したままでいいのではないか
と、最近思うようになった。


谷底は、人が思うほど、居心地が悪い場所ではない。


この場所の、いい点は、
まわりに邪魔されず、
妻だけを想うことが出来るということ。


人からは見えにくい、以外と幸せな場所であるかもしれない。
妻との二人だけの時間を持てる“隠れ家”のような場所かもしれない。

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