これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

時間と向き合う

“時間”と“人生”は繋がっている。
「人生が終わった」と感じた時、
時間が止まったと感じる。


私にとって、2017年5月23日がその日だ。
妻が亡くなった2017年10月6日ではなく、
“妻が余命1年のがん告知を受けた”5月23日の方だった。
その日、「人生が終わった」と感じた。


私の心は、その日、時間と縁を切ろうとした。
実際、“心”と“時間”の縁は切ることが出来たような気がする。


しかし、
物理的には
私の人生が続いている限り、
時間は流れ続けることになる。


私が亡くなって初めて、
“私”と“時間”との関係が終了する。


時間には、
“心が見る時間”と、“物理的な時間”の、2つが存在する。


妻は、2017年10月6日、
命が終わると共に、時間も消えてなくなった。


私は、もう少し“時間”と付き合わなければならない。


“心”が時間を拒否しても、“肉体”の方は時間を受け入れ続ける。


ならば、
2つの異なる時間に対して、
2つのエンジンを同時に動かそうと思っている。


1つは
“物理的な時間”への対応。


“時間”に対して、忍耐力勝負で臨もうと思う。


毎日、絶え間なく押し寄せる“悲嘆”に対し、じっと耐えるのだ。
“悲嘆”は何年も攻撃を続けて来るだろう。


それでも、耐え続けると、
ある時、悲嘆が攻撃を諦める時が来るのではないか。


今までと違う自分を認識する瞬間だ。
耐えた後に、今まで見えなかったものが、見えるかもしれない。


もう一つは
“心が見る時間”との向き合い。


野球で言うなら、
前者が「守り」で、相手の攻撃を防御するのに対し、
こちらは、「攻撃」だ。


“妻を想うこと”が、攻撃に繋がる。
攻撃の手を緩めず、攻め続ければ、得点はどんどん増えていく。
大量得点を目指せばいい。


その得点の数字を見て、妻は喜ぶだろう。

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