これからも妻といっしょに

がんで無くなった妻。その魂と引き続き共に歩みます

許す心

GWも後半となったが、
毎週通っている、テニスもパソコン教室も休みで、
この1週間、
食事の時、店員に注文をする以外は、人と話をしていない。


ただ、
昼はほとんどが外食で、
スーパーや図書館に行ったりして、
1日1回は外出しているので、それほどストレスは感じていない。


先日、中華料理のチェーン店で、
「酢豚定食を店内で食べて、餃子を持ち帰り」という注文をした。


酢豚を食べ終えて、レジの会計を済ませ、おつりを受け取った。


持ち帰りの餃子を受け取るつもりだったが、
中にいる調理人が、こちらを見て「少々お待ち下さい」と言ったので、
まだ、出来上がっていないと解釈して、店の外で待っていた。


なかなかお呼びが掛からないので、
受け取りの窓口に近づき、中を覗き込んでいると、
会計をしている女性が、「何にしますか」と聞いてきた。
どうも、持ち帰りの注文のことを忘れているみたいだ。


私が、
「最初に、餃子の持ち帰りを頼んでいるのですけど」と言うと、
レジの女性は、
思い出したように「ああっ」と言って、
すでに出来上がっている餃子を、慌ててレジ袋に入れ、私に渡した。


余分な時間を取らされたことになり、
普通ならイライラするはずだが、
店員の「すみません」に対して、
私は、明るい口調で、「いいえ」という言葉で返した。


そして、自転車で家に向かっている途中、
なぜかわからないが、気持ちがよくなっている自分に気づいた。


店員に腹を立てず、
相手に対し“許す心”が自然と出た自分に、
余裕のようなものを感じたためかもしれない。


このような個人と個人の間では、自分次第で心の調整が出来るが、
“国”対“国”や、“会社(組織)”と“個人”では、複数の利害が絡まり、
“解けない連立方程式”に対峙しなければならないことも多い。


今回は小さな出来事ではあったが、個人と個人でのやりとりであり、
相手に怒りの感情を持つより、“許す心”を持つことで、
心が穏やかになることを実感した。



スーパーで買い物をしていて、最近感じることとして、
買い物かごを持った男性が、増えているように思えることだ。


私の住まいからスーパーまでは、自転車で10分ほどかかるので、
自転車に乗れない妻は、
スーパーに行くことはなく、
近くのコンビニや、小さな食品商店ばかり行っていた。


私は、以前から、スーパーに週2回ほどのペースで行っていて、
今も同じである。


10年ほど前を思い出してみると、
夫婦で買い物している男性はちらほらいたが、
男性1人で買い物をしている姿を見ることは稀で、
私だけの時も度々あった。


少し、恥ずかしいと思うこともあった。


しかし、
最近は、そういう男性が、年齢を問わず、スーパー内に、たくさんいる。


夫婦、または、小さな子供も加わって買い物をしている家族も、
たくさんいる。


その人達からは、“家族”にしか出せない特別なオーラが出ている。
それを感じた時、
「私にも同じものが以前はあったな」という思いが頭をよぎり、
“懐かしいな”という感覚に陥る。


私は、“家族枠”から外れ、
今は、“独身枠”に移動しているが、


羨ましいという感情が出ても、
嫉妬という感情には結びつかない。


自分との比較をすることなく、
その光景を、温かい目で見ることが出来る自分に、
心地よさを感じている。


ただ、
家族はやっぱりいいいな
という思いは消えない。

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